兵庫県北部・但馬だしけぇ言語圏
過去にFBに書いた記事のリライトです。
タイムトラベルin香美町の話。
1837年 江戸時代の天保8年までさかのぼります。但馬国は幕府直轄の生野銀山を有し、出石藩の仙石家、豊岡藩の京極家、村岡藩の山名家が統治。
但馬街道、篠山街道、山陰道と、ほぼ今の国道9号に沿ってました。
果たしてわがふるさと、香住はどうか。
国郡全図には 隅っこに記載されてます。美含郡(みくみぐん)で「余部」「矢田」が栄えていたらしい。つまり漁村。1896年には美含郡は城崎郡、気多郡と合併し、新しく城崎郡となりました。
現在の但馬弁の分布でも「だけぇ」と「だしけ〜」の境界線は9号線。
上方文化の通り道である山陰道と香住が隔絶されていたことが想像されます。
歴史と地理を調べて行くといろいろな発見があります。