終就活の記録 障がい者雇用の中途採用@ミドルエイジの需要 介護の壁①
54歳で精神障害者 雇いたいですか?
その辺にいる人に聞いてみたくなる。
私自身に聞いたとて、きっと「う~~~~ん」となるだろう。
けれど、私はどこかで諦めたくないのだ。
何を??? そう何をなのだよ。
結局、好きな事とは曖昧な感覚で何だかスッキリしなかったわけで。
それなら・・・・
なりたかった自分を掘り起こす作業をしようと思っている朝である。
これは、就活と終活を同時に、じわじわ生き進める記録である。
【介護とパッチ・アダムス】
私が発達障害と診断が下る前 心に決めていた夢がある。
それは、60歳までに介護業界のパッチアダムスになる事だ!!
なんだそれ?って思う人は多いかもしれない。
この映画を聾の友人と見に行った時
私は何故か涙が止まらなかった。 「泣いている なんで?」と
驚いた表情と手話で聞かれたけれどどう表現していいか
分からずに 「感動???」と首をかしげながら伝えたものだ。
(今は手話も、うすぼんやりしか覚えて無いけど)
気が付けばずっと、多分誰かの役に立ちたかった。
大好きだった祖母の口癖は「奉仕の心」だった。
今でも良く分かってはないけれど、祖母はよく知人のお見舞いなど
豆を炊いたりして持って行ってたのを覚えている。
祖母のお葬式には知らない人がほんとに沢山来てくれた。
だから、自然とそう思ったのかもしれない。
私は貧乏な家庭で育ったので、
「貧すれば鈍する」感覚が分かる。
けれど、そこから産まれる小さな愛やキラキラを私は知っている。
社会に押しつぶされそうになったとしても
どうにか、幸せになりたいと心の隅では願っているものだ。
だから、そういう人たちに、ほんの少しでもいいから
笑顔になってもらえたらって願っていた。
笑うとセロトニンの分泌が促される事も知っている。
だから、失礼のない範囲で笑ってもらえるように
介護の仕事に携わりつつ、その人の時代の俳優さんや歌を調べて
心が優しく揺れるようにと頑張っていた。
けれど・・・逆にたくさん自分の心が満たされたり
教えてもらえたり 家族に恵まれてなかった私には素敵な職業だった。
そんな私が介護の仕事を諦めたのは
ADHDだった事・・・子育てが困難だった事
ある、犯罪に家庭が壊された事。いくつか重なったからだ。
ADHDである以上、服薬や超絶忙しい業務は
ミスをして利用者さんを危険にさらしてしまうかもしれない。
自分の障害が分かった時 私は正直ほっとしたようで
凄くショックで辛かったのを覚えている。
「私になんてできるはずもない」と。
この作業は少し 辛すぎるな。
今日はこの辺で・・・・・・・・。
残りの人生、諦めず井戸を掘るつもりでなりたい自分を求めようと思う。