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掌編小説「白い髭を蓄えて」

 夜の繁華街に、サンタクロースが立っている。何とも髭の似合わない、いや、そもそも髭など生えるはずのないそのサンタクロースは、こそこそと身をよじりながら、健気にも道行く大人たちに声をかけ続けている。何かのキャンペーンなのだろう。私は、その可愛いらしいサンタクロースにしばらく目を奪われた。

 クリスマスなど、もう何十年も意識してこなかった。毎年人手の少なくなるこの日は、私にとって年に数回の稼ぎ時の一つでしかない。私はいつも蚊帳の外で、無心に赤色のLEDライトを振り回してきた。サンタクロースは、私にとって全く赤の他人であった。

 「メリークリスマスッ!」

 気がつくと、私はサンタクロースの前に立っていた。別に何かを求めていた訳ではない。ただ、浮かれた人々の中で、ひたすら自身の役割を演じるそのサンタクロースに、ちょっとした親しみを感じていたのは確かである。

 溌剌とした、めいっぱいの掛け声と共にホットコーヒーを差し出したあと、ちょっと目線を上げた彼女は、「あ、ご苦労様です…!」と、言葉を続けた。何か返そうと、二、三度口をパクパクさせてから、私は軽く会釈をしてそのプレゼントを受け取った。

 その時の純粋な笑顔のためか、次第に彼女は、スーツ姿の子供たちの前で本当のサンタクロースになっていった。


 その様を見届けて、私はいつもの道を急いだ。そして毎年同じその場所で、変わらず赤色LEDを振り回す。ただ、今年はいつもよりも周りの喧騒がよく聞こえてくる。

「ありがとうございます。ご苦労様です!」

 最初に通り過ぎたカップルを見送った際のそんな一声も、今までは耳を素通りしていただけなのかもしれない。私は「足下、お気をつけて」と、初めて言葉を返した。カップルはニコッと微笑み、小さくお辞儀した。


 楽しげな若者の集団を見送ったあと、しばらく辺りには重機の音がこだまするのみとなった。私はしんみりと、もう何十年も前の遠いクリスマスの夜を思い返したりしながら、改めていつもの現場を見回してみた。誰が置いたのか、現場の隅のラジオから「クリスマス寒波」という語が頻りに聞こえてくる。

 私は少し身をよじりながら、傍に置いたホットコーヒーのことをふと思い出した。今年は一層冷えこむ。さて、もう一踏ん張り。先ほどの人々が見せた笑顔を反芻しながら、私はそう自分に言い聞かせた。

 まだほんのりと温かいコーヒーを少し口に含んで、私はふぅ、と一息ついた。温まった息が、白い水蒸気として私の口元を覆う。それはまるで、サンタクロースが蓄える、真っ白で、立派な髭のようであった。


「白い髭を蓄えて」(完)


今日も誰かのために働く全てのサンタクロースへ。ありがとうございます。メリークリスマス。
かしお

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