京大卒リクルート出身30代が、音楽をテーマにアパレルブランドで起業した理由
2022年1月、私はアパレルブランドを立ち上げるという一つの夢を叶えた。
とはいえ、ブランドを立ち上げたといっても、それはようやくスタート地点に立ったに過ぎない。立ち上げ以来、これまでの人生で感じたことのない様々な新しい感情に出会った。
リクルートという会社で働きながら副業でスタートしたブランドだったが、中途半端な挑戦にしたくないと思い、2024年6月に7年半勤めたリクルートを退社した。
12年の会社員生活に幕を閉じ、アパレルブランドを運営する会社を立ち上げ独立起業した。
アパレル業界で働いたわけでもなく、インフルエンサーでもない私がなぜ30代半ばでアパレル会社を立ち上げ、独立するという無謀な挑戦をしているのか。
私がアパレルブランドを立ち上げるに至った背景には、大きく二つの原体験が深く関わっている。
それは、10代の頃音楽とファッションにより自分自身を発見し、そして大人になってから再び失った経験である。
▼ブランド立ち上げ時、繊研新聞様に取り上げていただいた記事がこちら
音楽とファッションに救われた10代
幼少期から私はどちらかというと内気なタイプで、外で遊ぶよりも本を読んで過ごすことに幸せを感じる子供だった。
それでも学生時代はありがたいことに環境に恵まれ、魅力的な友人に囲まれながら楽しく学生生活を過ごすことができた。
ただ、いつも周りと自分はどこか違うような、取りつくろった自分でなんとか周囲に合わせているような感覚があった。自分の内面をどこに解放して良いのかわからないような葛藤を抱えていた。
そして何より家族との関係に悩むことも多かった。
自分の部屋にこもってひたすらヘッドフォンで耳を塞いでいたくなるようなことも多々あった。
そんな辛い状況を救ってくれたのが力強いロック・メタル・V系の音楽、そして当時流行っていた、バンドマンの世界を描いたマンガ「NANA」だった。
10代の多感な時期に偶然出会ったそれらの世界はあまりに刺激的で、強くて、自由で、どこか儚くダークで、すぐに魅了された。
今となっては中二病と揶揄されるだろうが、タワーレコードやHMVに足しげく通い、自分だけが知っている(と、当時は思っていた)かっこいいバンド、音楽を見つけることにハマった。
同時に、それらの音楽に通じるカルチャーを持ったファッションがもう一つの救いの手段となった。
部活をやっていなかった私は、学校が終わった後は大阪を中心とした繁華街でファッションに触れ、心奪われるインディーズバンドに出会い、ライブハウスに出入りするようになった。
好きなファッションをまとい、ライブハウスにいる時の自分は、本来の自分はこれだといったような居心地の良さがあった。
不器用な私は音楽とファッションに大いに救われた青春時代を過ごしたと言える。
中高一貫の学校に通っていた私は勉強は得意な方ではあったので、大学は第一志望の京都大学に合格。
将来のことなんてまだ全く考えていなかったが、偏差値の高い大学に入ることで、未来に選択肢を残すという名の"選択の先送り"をした。
好きを選ばず安定の世界へ
大学生になると、高校時代から憧れていたアパレル販売員のアルバイトを始めた。今振り返っても販売の仕事は大変ながら充実した毎日だった。ありがたいことにそのまま社員にならないかというお誘いも頂いた。
しかし、このまま就職できたらさぞかし楽しいだろうな、とまるで叶わない夢に想いを馳せるような気持ちで思った。
当時の私には、ファッションの世界に飛び込む勇気がなかった。
京都大学に進学した人でアパレルの道に行く人は聞いたことがなかった。皆誰もが知っている大企業や今を時めくベンチャー企業へ就職する人ばかり。
周りの期待にこたえる形で、(というよりもきっと自分が周りと異なる道をいくのがこわかっただけだが)不器用なくせにそういうところだけは器用さを持ち合わせた私は、就職ランキングで人気のあった大企業に内定をいただき、ちゃっかりと就職した。
詳細は省くが、自分で稼ぐ力を早く身につける必要があった、という事情も当時の私に現実的な選択をさせた。
再び自分を見失った20代前半
新卒で入社した日系大企業はいい人ばかりだった一方で、コンサバな社風は全く肌に合わなかった。かといってまだ何ができるわけでもなく環境に文句を言う資格もないと思っていた私は終わりのないトンネルにいるような鬱々とした数年間を過ごした。
それでもなんとか入社した会社に早くとけこみたい一心で、自分の中にある好きはあきらめ、徐々に周りに合わせることを優先するようになった。
誰が見ても好感度が高そうな無難な服を選び、あれほど好きだった音楽は聴かなくなり、好きなバンドの最新情報は追わなくなった。
当時の私は個をそぎ落とし、周囲にとけこむことが社会人になるということなのだと思っていた。
そうこうして社会に翻弄されているうちに、何が好きだったのか、どういう自分が自分らしいのかわからなくなり、10代に自分を見つけた私はいつしか再び、自分を見失っていった。
ほとんど辞める人がいない超ホワイト企業と言われていたその会社を、私は3年半で退職。
将来を決めきれてはいなかったが、いつか何かを自分で始めたいとは思っていた。そのためには入れば一生安泰、と言われていたこの会社を手放し、個の力が身につく環境に身を置く必要があると思った。
敷かれたレールを人生で初めて自ら外れた瞬間だった。
大人になるにつれ封印していた自分
その後、2回転職を繰り返し、2017年私はリクルートに入社した。
自由な服装に社員同士、上司すらあだ名で呼び合う自由かつ実力主義な社風のリクルートで、私は徐々に自分を取り戻した。
ちょうどその頃、中学生の時最初にどハマりしたバンドであるL'Arc〜en〜Cielのvocal hydeさんがソロ活動を再開した。
当時すでにあまり音楽を聴かなくなっていた私は、偶然Zepp Tokyoで行われるライブ告知を目にした。
このライブには絶対行かなくてはいけない。私はそう確信した。
数年間離れていた懐かしい世界に少しおじけづきながら1人で参加したライブ当日のあの日、私が受けた衝撃は中学生の私が人生で初めて行ったライブで受けた、雷で打たれるような衝撃に匹敵した。
(人生初のライブで、人生観を変えるほどの衝撃を受ける経験は、音楽好きであれば誰しも10代に思い当たる記憶があるはずだ。)
ずっと何かを忘れようとしていた。
不器用な私が、この社会でうまく生きていくには、個を消し去り、周囲に同調することが唯一の方法だと思ったから。
個をつらぬいて生きるほどの勇気も強さも当時は持ち合わせていなかったから。
”無難な自分”になることでうまく生きていこうとした。
しかし、長い間見ないふりをして封印し、心の奥にしまい込んでいた音楽とファッションの世界で見つけた自分を、その日解き放ってしまった。
自分を取り戻すきっかけをくれたリクルートでの仕事は楽しかったが、それだけでは埋まらない心の穴をずっと抱えていた。
あの好きな音楽の香りがするファッションという、過去に置いてきた本当にやりたかったことがずっと心に残りながらも、ずっと選択を未来に先送りしてきた。
もう長年の気持ちをごまかすことはできなかった。
選択を未来へ先送りにする人生は終わりにする。
コロナ禍まっただ中の2020年、私は音楽をテーマにしたファッションを仕事にすると決めた。
誰かと何かを作り上げる楽しさや、理不尽な目に遭う大変さをたくさん味わった12年間のビジネス経験は、決して無駄ではなかった。
この経験を経た私だからこそ成し遂げられる仕事があるはずだ。
ブランドコンセプト
私のブランドADDIXYは、「ミュージックカルチャーとクラシカルなスタイルを融合させ、年齢や性別にとらわれない自由なファッション」を提案している。
かつて私のようにロック、バンドミュージックが好きだった層、特にマンガ「NANA」に代表されるカルチャーに影響を受けて育った世代も今は30代になっているはず。
若い頃はそういったファッションをしていた人たちも今やすっかり落ち着いた、という人も多いのではないだろうか。
ファッションは内面に影響を与え、人格にも影響するものであると私自身の経験を通じて確信している。
だからこそ私がブランドを通して伝えたいことはファッションに閉じた話ではなく、人生の選択の話だ。
若い頃に出会った「好き」には、必ずその人の原点がある。
だからこそ、簡単に明け渡してはいけない。
自分が本当に好きなものを選択することと、若い頃にはなかった責任のあるシチュエーションでTPOに合わせて振る舞うこと。
この二つは両立し得るものだし、それを叶えられるようなブランドを作りたかった。
若い頃の好き、は消し去るでも、そのまま引きずるでもなく、年齢とともに再構築することができると思っている。
「中毒性のある刺激を日常に」「ミュージックカルチャーとクラシカルなスタイルの融合」といったように日常・フォーマルさも合わせて掲げているのはそういった理由である。
年齢を言い訳に、丸く社会に収まっていく大人を増やしたくない。
私が失いかけた「好き」の感覚を、自分よりも周囲を優先する機会が増えていく大人世代にこそ再発見してほしいのだ。
今後の展望と使命
ADDIXYはただ作り手がかっこいいと思う服を提供するブランドではない。
同じような気持ちを抱えている大人世代の方々が、再び自分を見つけるきっかけとなる存在でありたい。そして、他者を救うと同時に、私自身もこのブランドを通じて自分を救い続けたい。
日本に蔓延る、周りから外れてはいけない、といった閉塞感のある雰囲気を少しでも変え、人と違っていい、周りに無理に合わせなくていい、一人一人が堂々と意思決定できる、そんな社会にしていきたい。
かつて私がファッションと音楽に救われたように、私のブランドがだれかにその力を与え、自分らしさを取り戻す一歩を提供できる存在になることが私がブランドを通して実現したいビジョンである。
少しでもこの想いに共感してくれた人達と一緒に、私は一緒にこのブランドを通じて ”日本のカルチャーをも変える大きなうねり” にしていきたい。
それがブランドの展望であり、私の使命である。
▼アパレルブランド「ADDIXY」COLLECTION LOOKはこちら
最後までお読みいただきありがとうございました。
ADDIXYはまだ歩みはじめたばかりのブランドであり、実現したいビジョンを叶えるには、多くの仲間・協力者が必要です。
少しでもご興味を持っていただいた方、何か一緒に新しい取り組みができるのでは、と思われた方がいらっしゃいましたらぜひお気軽にご連絡ください。