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哲学してみる

はじまりがあればおわりもある。
これは変えようのない事実だ。
それにもかかわらず、どうして人間は、「いつまでも」「これからも」「ずっと」と願うのだろう。

恋愛をテーマに扱う作品が好きだ。プライムビデオの再生履歴を見るとラブロマンス系の映画が多いし、自分の本棚を見ても恋愛小説や少女マンガが結構ある。恋をしている登場人物たちは相手の言動に一喜一憂して感情が豊かでキラキラしてみえる。一方で、いつか終わりを迎えるのにどうして先を望むんだろうと冷めた気持ちで見てしまう自分もいる。だから、これについて一度考えてみたいと思った。


はじまりがあればおわりもある。私たちはこのことを知っている。でももしかしたら、それがいつはじまっていつおわるのか分からないのではないだろうか。私たちは現在を生きることしかできないし、過去の今が積み重なって現在がある。この今の積み重ねは未来にもいえることだろう。しかし、その今の積み重ねがいつ終わってしまうのかわからない。

だからこそ、怖いのだろうか。まして、自分が現在の状況に満足していたり幸せを感じていたりするのであれば、おわりやその先のことを想像することは難しいはずだ。だからこそ「まだ終わって欲しくない」「これからも続いて欲しい」と感じるのではないか。純粋に先を望むきもちにもある種の現実逃避のようにもみえる。

また、わたしたちは時間という流れの中で存在しているため、時間による変化を被る。平たくいえば、人は変わっていくということだ。生きている以上、それは自然なことだと思う。

デンマークに留学していたとき、私は寮の近くにある森林公園を散歩するのが好きだった。そこで出会った光景が忘れられない。

前から歩いてくる老夫婦が手を繋ぎながら歩いていたのだ。

私は2人を見て「ああ、なんて素敵なんだ」と思った。2人の名前もいつどこでどういう風に出会ったのか知らない。月日が流れていく中で、それぞれ考えることや好み、生活習慣なども変わっていったのかもしれない。それでも愛し合っているという事実は変わっていないのだろう。2人がお互いの手を取って同じ速度で歩いている様子を見て、勝手ながら私は、お互いを想いあう変わらない気持ちを感じ、尊いなと思った。

人間の心や考えは移ろいやすい。この事実になり立っているものはとても脆く儚い。だからこそわたしたちは、「いつまでも」「ずっと」と思うのと同時に”変わらないもの”に対し憧れや尊さを感じたりするのではだいろうか。

そんなことを考えているうちに気がつけば結構時間がたっていた。書き始める前に入れたコーヒーももうとっくに冷え切ってしまっている。午前中に終わらせようと思っていた課題もきれいにのこったまま。でも、なんだか今日一日頑張れそうな気がする。

とりあえず、コーヒーを温め直して課題でもやろうかな。


(写真は、寮の近くにあった森林公園で撮った写真です。小高い丘があってそこからみる街の風景がとても好きでした。)


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