みんな違いますけどそれが何か?
今日は曇り。そして、ちょっと肌寒い。
春爛漫から、冬の名残を楽しむ天気というか。
ちょっと曇っていて肌寒い日には、孤独感に幸せを見いだせるビル・エバンスのピアノが最適。ということで、朝からこのチャンネルをリビングで流している。
https://www.youtube.com/watch?v=ccYqLbvFJ78
韓流ドラマにはまるよりもずっと前から、韓国のDJやプレイリストメーカーがお気に入り。80年代の民主化から20年のときを経て、自由を楽しむ韓国の若い世代たち。彼ら彼女たちのムーブメントがおしゃれで、そして、センスがいい。
朝食時にうちのボクさんとこんな話をする。
「お母さん、MJ(マイケル・ジャクソン)のBlack or Whiteという曲のPVで、本当はナチスやKKKの看板とかを破ったりするシーンがあったらしいんだけど、当時は問題になるからと削除されたらしいんだ。観たかったなぁ」
どこぞのYoutubeで聞きかじったのだろう、ボクさんがこんな話題をし始めた。
「アメリカって、不思議な国だと思う。昔はたくさんの黒人差別があってひどいことをたくさんしてきたのは知ってる。それで差別はよくないとなったのも知ってる。でも、だからといって、日本のアニメに黒人の人が出てこないことを問題視して口をはさんできたりする。日本は日本の事情や状況があるのに、なんでそれをあえて言ってくるのかなって?自然の流れに任せたらいいのに。俺からしたら、どこの国だろうと人種だろうと、何がどうして違うのか、違っていたら何がいけないのか、何が問題なのか、まったく分からない」
朝から濃厚な話題で。(笑)
そうか、ボクさんたちの世代からしたら、学校に行けばいろいろな国の子がいて(クラスメイトにはインドネシア人、隣のクラスにはドイツ、もちろん韓国やアフリカ系の子もいる)、彼ら彼女たちはみんな母国語以外に日本語をフツーに話し、ごはんをともにする。
『みんな違ってみんないい』
どころか、その場に『違う』ことへの違和感、なによりも、あえて『みんないい』とする前提すらもなく、そのまま何の定義もなく、目の前にフツーに多種多様さが「いる」という日常なのだ。そういう感覚からすると、「人種差別はよくない」というセリフそのものが理解しづらいという。
そもそもが「人種」という「壁」のようなカテゴリーを持っておらず、差別そのものというものは「人種や国籍にくくられることなく、人類愛に反する行為である」という認識。だから、「あえて差別を国や人種でくくる必要があるのかわからない」と話す。なるほど。時代は進化したものだ。
ボクさんには、
「そうか、ここに至るまでの経緯を知らないからだね、わからないのは。欧米系のドラマを観てみると、必ずアングロサクソンだけでなく、インド、アフリカ系、アジア系と世界中にいるあらゆる肌の色の人が出てきているでしょ?あれは、アメリカだと放送倫理の取り決めとして、実社会を反映した人種構成で演出しないと規定違反になるという取り決めできたことで、いろんな人たちがドラマに登場するようになったんだよ。そうやって、テレビの中の世界も多様になってくると、人の認識もそれが”当たり前”と思うようになって、実際に人種を差別する気持ちや価値観が広まりにくくなったりした、そういう効果がある。日本のドラマはまだそこまでは言っていないよね。まだ日本の俳優さんだけのものが多い(在日韓国人や台湾系の俳優さんがいたとしても、日本名にしていたりしてわからない)。もし、それが全部日本名でなくて、いろいろな名前、いろいろな人種だったら、〇〇(ボクの名前)が毎日過ごしている”当たり前”の世界と同じになるのにね。当たり前って、自然でありながらも、自然にはできないこともあったりするんだよ」
とはいえ、ネットの世界は、当たり前だがとっくにボーダレスである。
こうしてYoutubeを開いて、お気に入りのプレイリストをクリックすれば、世界中のアーティストの曲をサブスクで聴けて、しかもそのプレイリストをセレクトしているのが韓国人DJ。その子のコメント欄には、英語、韓国語、日本語、ベトナム語で「サイコー!」などの声が書き込まれていて、その各コメント事にご丁寧に”翻訳ツール”が貼り付けられている。もはや国、言語、人種のくくりを隔てる壁は、消滅したも同然だと思う。
いまを台頭するZ世代、そしてこれからを生きるボクさんたちにしても、毎日遊ぶオンラインゲームはそれこそ多国籍である。中国やロシア、エジプト、フィリピン、国を問わず出入りするゲーマーたちと翻訳ツールを駆使しながらチームを組んでプレイし、ケンカしたり一喜一憂したりと、毎日が多言語祭りだ。
(こないだは、どこぞの人で超絶わがままな子がいて、みんなで“それは人としてダメでしょ。反省しなさい!”と世代間問わず説教をしたらしい)
そんなネットには、ちゃんとMJのBlack or Whiteのコンプリート版がYoutubeにアップロードされているので、ボクさんにリンクを送る。リリースは1991年。今から33年前。
https://youtu.be/ghBk1jo4-aE?si=Dv-uXG1f-NF4NF9L
そして、1990年代のアメリカの多文化主義をつづった論文をネットで発見。2016年に書かれた聖学院大学学生の『アメリカ合衆国における1990年代の多文化主義をめぐる議論』というタイトルで、いろいろな書籍を網羅していて面白そう。最近国際政治学に関心が出てきたボクに、そちらも送ることにする。
https://serve.repo.nii.ac.jp/record/3540/files/%E5%A4%A7%E5%A0%B4%E6%98%B4%E4%BA%8C_%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B1990%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%A4%9A%E6%96%87%E5%8C%96%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8B%E8%AD%B0%E8%AB%96%E3%81%AE%E8%BB%8C%E8%B7%A1.pdf