作者の夢の中 10月4日〜365日の香水
個展での出来事
先週、小さな個展を開いた。
知人と一緒に作曲をしている方が来てくださり、
最近テーマにしている感情、気持ちのシリーズ「たぶらかす」「ほのめかす」などいろいろ試していただいた。
その方が仰ったのは「作品には作者が出る」。「どれも共通してピュア」ということだった。その後、知人を介して「創作過程に興味がありもっと話してみたい」と言ってくださった。
作品には作者が出る
何を持って「ピュア」なのかは私にはわからない。
けれど「作品には作者が出る」というのはよくわかる。私自身がいろいろなクリエイティブに触れていつも思うこと。
白磁の平戸嘉久房窯の平戸悦山先生の全き白の美しい世界は、研ぎ澄まされた美は、やはり先生のお人柄が伺われるように思える。
作品性と乖離するパーソナリティ
一方で、恋愛小説家がいい恋をしてきたかというとそうでもなく、家族愛をテーマに名作を撮った映画監督が幸福な家庭を築いたかといえば、当てはまらない例もある。
モーツァルトはあんなに浄化された音楽を下品な言葉を口ずさみ創った。
これも分人主義で説明ができる。
小説家として、パートナーとして、社会人として、これは完全に一個の自己ではなく接面ごとで個は分たれているのだ。
私がピュアな人間なのではなく、創作において私の中のピュア分人が出てきた、ということだと思う。
再び、作品と作者について
作品に作者が出る、でいうと例えばシャネルのファッションには彼女の「反骨」が、ディオールには彼の「愛すべきもの」が、フェラーリには「妥協なきこだわり」が、アレクサンダー・マックイーンには彼の「遊びの王国」がよく出ていたと思う。
夢の世界観
そして四年前の今日、旅だった高田賢三。そのクリエイティブには「彼の夢の世界」をいつも感じる。
色彩の魔術師と言われデヴューした1970年代から一気に人気と注目をイヴ・サンローランと二分したと言われる高田賢三。
KENZOというデザイナーの頭の中の夢の世界がそのままアウトプットされたような感覚。それは、刺激とか発見というよりも心地よさ。
鮮やかな色彩を多用しながら、とてもナチュラルで、そこにときめきを感じるのは、夢の中そのもの、だからかも知れない。
何かのインタヴューで90年代に苦戦したのはトレンドがセクシーになってきていて、自分にはそれはできないとわかってた、というようなことを読んだ記憶がある。
侵食されない理想の世界、高田賢三がクリエイティブを担っていた頃の香水にもそれらは反映されている。
色遣いはもちろん、香水が持つストーリーは賢三の世界から紡がれたもの。
鮮やかでときめきがあって優しい。
kenzo/kenzo/1988
デザイナーの名を冠したこの香水は、高田賢三の夢の国の庭に咲く花のようなイメージ。香りも、鮮やかでときめきがあって優しい。
これはあるピアニストの方が持っていたもので、私に数年前に譲ってくれた。
ピーチ、プラム、チュベローズ、イランイラン、ガーデニアなどのスイート、コリアンダー、キャラウェイなどのスパイス、そしてアンバー、バニラ、パチュリなどのベース、KENZOの色遣いのように多様で多彩なのに、可憐で少し深みのある一つのカタチになっている。
香り、思い、呼吸
10月4日がお誕生日の方、記念日の方おめでとうございます。
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