財布があればお金はあるさ
「酒代の心配なんかするなよ。
財布があればお金もついて回るさ。」
本当に財布の中にお金があったか、なかったか。
たまたま巡り合わせで一献傾けた相手に、
詩人はそんなことを言う。
人生の心配ごとなんて、その程度に構えてみたら
いいのかもしれない。
すごく好きな漢詩の一節だ。賀知章の「袁氏の別業に題す」
主人相識らず しゅじん あい しらず
偶坐林泉のためなり ぐうざ りんせんのためなり
謾に酒を枯うを愁うること莫れ まんに さけを かうを うれうることなかれ
嚢中自ずから銭あり のうちゅう おのずから ぜにあり
主人とは面識はないけど、庭を見たくて向かい合ってる、
私のための酒代をそうやたら気にしないでよ、
財布があれば、お金もあるってものさ
最後の一行は私の財布にお金がありますから、という訳が多いけれど、お金は天下の回りもの的なニュアンスと解釈したり、そもそも財布に収まる分しか使わない、
必要な分だけつかえばいい、など、お金の哲学風の解釈がいろいろある。
嚢中(財布)自ずとの部分を世の摂理ととらえたら、所詮、持ってても持ってなくてもお金なんてその程度のもの、と言えるのかもしれない。
昔から、なんかこの感じが好きなのだ。