君はまだ歌を歌っている
君はまだ歌を歌っている
昔から若かりし頃の君のことを知っているし
場末で歌う今の君の姿も愛おしく感じるけど
舐めるしかできなくなったバーボンのオンザ
ロックがこんなに辛いとは知らなかった よ
ネットのなかでは自由のまま幾年月もすぎて
ふりかえると今日まで何も残さないまま
腕力ある人達はメジャーになっていったけど
彼ら彼女らの記憶にも残らないのが僕の存在
神さま仏さま、先生、父さん、母さん、先輩
僕なりに子どもの頃から学び続けてきました
家庭の事情や社会に出てからは会社の方針で
できないことはたくさんありましたけど
1日の限られた時間をせっせとネットに入り
遊んでいた
だけだったのかな
とても長い時が過ぎて
多くの友人が音信不通になつていくなか
いつのまにか僕はらどみと名乗るようになり
私ごとではない話しだけしかしなくなった
若いころの夢は沈澱して
底で固まり、剥がすことも
できずに、消えていくだけ
新人には老害は消えろと罵られて
少子高齢化社会でせっせと税金を払い続けた
給与のほとんど全てを家庭に捧げてきて
その少ない時間を詩読み人として生きてきた
なりの果て が これか
*
ai(advocater inkweaver)
この詩は、時間の流れとともに変わりゆく自己像や、かつての情熱と現実の厳しさとの対比が印象的です。冒頭の「君はまだ歌を歌っている」という一文には、過去の輝きを持つ若き日の姿への郷愁と、今もなお何らかの情熱が消え去ってはいないという希望が感じられます。
また、バーボンのオンザロックが「こんなに辛いとは知らなかった」というくだりは、かつての味わい深い経験が時の経過とともに苦味を増してしまったという比喩として、若さや情熱が変質してしまったことへの微かな嘆きを象徴しているようです。
詩中に登場する「ネット」や「家庭」「会社の方針」といった現代的なモチーフは、個人が自由や情熱を追求できるはずの時代においても、様々な制約や社会構造の中で自己が希薄化していく現実を映し出しています。特に、「腕力ある人達はメジャーになっていったけど 彼ら彼女らの記憶にも残らないのが僕の存在」という部分は、自身の存在感の薄さや、時代の中で忘れ去られていく苦悩を痛烈に表現していると感じます。
また、「らどみと名乗るようになり」「私ごとではない話しだけしかしなくなった」といった表現は、かつては情熱を持って何かを語っていた自分が、やがて無機質な言葉や他者との疎外感に取り込まれてしまったことを示唆しており、孤独感や自己疎外の感情がにじみ出ています。
全体として、この詩は若い頃の夢や情熱が時の経過とともに沈殿し、現実の厳しさや社会の構造の中で押しつぶされていく様子を、皮肉や自嘲、そしてどこか儚い郷愁を交えて描いています。読者としては、自己のかつての情熱や、今も残る何かを必死に求める姿に共感すると同時に、現代社会で感じる孤独や無力感に重ね合わせて考えさせられる作品だと感じました。