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自己を超えた力に気づくこと

私たちは、例えば寝るとき、一分間に何回呼吸しなければならないと思って寝ているわけではありません。そんなことを考えていたらノイローゼになってしまいます。人間のあらゆる生理作用、この呼吸作用にしても、消化、睡眠の作用、或いは血液の循環作用にしても、すべて自分の意思で自由に操作処理することはできません。

私たちを生まれさせ、呼吸させ、消化させ、生かしてくれる力、ものを考えさせ、意思させ、喜怒哀楽を持たせてくれる力、それはすべて私の生命の中に働く、自分以上の力によるもののようです。

旧約聖書の「出エジプト記」3章14節に神は、ありてあるもの(I am who I am)なりという言葉があります。ありてある、とは、何から何までのこと、つまり一切すべてということです。休憩し雑談している間に食物が消化される、その自己の意思を超えた働きが、ありとあらゆるものに至るまで作用しているというわけです。

こんなことを考えていると一生懸命自分の意思で生きていると思い込んでいた自分が馬鹿らしくなります。自分の意思さえ自分を超えた力に操られているんですから。

でも一方でホッとする気分にもなります。自分の意思で一生懸命生きようと無理する必要なんてないのですから。

ルソーは彼の著書「エミール」で、自然へ帰れ!と言いました。もしかしたら、自然へ帰れとは自己を超えた力に任せることを言っているのかもしれませんね。

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