見出し画像

聖徳太子の17条憲法

『日本書紀』によると聖徳太子の十七条憲法は、推古天皇12年(604年)に制定されたとされています。色々と異説があり、内容の一部に後世の加筆や修正がある可能性も指摘されていますが、その原形は推古朝(592~628)に成立したとみるのが妥当なようです。

聖徳太子は十七条憲法の内容の中に
「人はみな心あり。心おのおの執れるところあり。彼是なればすなわち我非なり。我是なればすなわち彼非なり。我必ずしも聖にあらず。彼必ずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫なるのみ」
というものがあります。自分自身に対する自戒を込めた私の拙い翻訳は以下の通りです。

心の怒りをなくし、憤りの表情を棄て、他の人が自分と違っても怒ってはならない。人それぞれに心があり、それぞれに思いや願いがある。相手がこれこそと言っても自分は良くないと思うし、自分がこれこそと思っても相手は良くないとする。自分は必ず正しくて、相手が必ず愚かだというわけではない。また相手は必ず正しくて、自分が必ず愚かだというわけではない。皆ともに平凡な人間(凡人)なのだ。これが良いとか良くないとか、誰が定め得ることができるだろう。互いに賢くもあり愚かでもあり、それは耳輪には端がないようなものだ。相手が憤っていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかと考えてみなさい。自分はこれだと思っても、人々の意見を聞き、一緒に行動しなければならない。

 聖徳太子は
「自己主張し、それが受けいれられないと怒ることで争いが起き、国家大乱の原因となる」と戒めました。

まもなく米国大統領に就任されるトランプさんは、自分が正しいと主張されます。彼は立派な方で人生の成功者であることは経済的に間違いありませんが、果たしてそれだけで良いのか、人生の失敗者である私なんかが意見するのは甚だ僭越ですが、なんとなく最近のnewsを観つつ感じている今日この頃です。

いいなと思ったら応援しよう!