昔の方がよかったおじさんがウザイ|なぜ人は「今より昔の方が良かったと思う考え方」をするのか
「昔の方がよかった」とオジサンが言います。悲しいかな現在38歳の僕も時折考えてしまう。これって老化なんです。特に男に多いです。
もう結論を言っちゃいました。感性が歳と共に死んでいく。だから「昔感性が豊かな時に見た感動を忘れられない」だけです。
昨今は老いなき世界を作る風潮があります。「LIFE SPAN老いなき世界」がベストセラーになったのは無視できない世の状況を言い表しています。
歳を取れば脳が刺激を処理する能力も低下します。厳密には刺激を受けにくくなります。経験値により予測できる事が増えたのが原因です。
例えば幼少期は「アンパンマン」が本気で面白く感じられます。でも小学校に上がるあたりでバイキンマンを倒すアンパンマンなんて構図は別段の感動を生みません。ありきたりです。この「ありきたり」が昔は良かったオジサンの種と言えます。
今回は「昔の方がよかったオジサン」の発生原因を考えオジサン化を戒めます。また「若者は若者の感性でジジイ共に臆せず多くを経験して欲しい」と願いを込めた記事になります。
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※若い頃から日記を感情含めて書いておくと後にみた時に学びが多く含まれているものです。
昔の方がよかったオジサンはうざい
どこでも発生する「昔の方がよかったオジサン」のウザさを紹介します。
「昔のアニメの方が絵としての芸術性があってよかった」
「昔のマンガの方が斬新なストーリーでオリジナリティがあってよかった」
「昔の映画の方が人間の心情の機微をより強く表現していてよかった」
「昔の芸能人の方が教養もあるし面白くてよかった」
「昔のスポーツは自分の内面との戦いがよく見えてよかった」
「昔の会社は一丸となって世界に進むって気概が見えてよかった」
「昔の新卒はトップを取る気持ちで切磋琢磨してよかった」
「昔の音楽は作詞と作曲と歌い手の気持ちが伝わってよかった」
挙げればキリがありません。すでにオジサンに片足突っ込んでいますが改めて言います。
「昔の方がよかったオジサン。めちゃくちゃうざい」
結論から言うと「昔の方が」と宣うオジサン全てが若く感受性豊かでまだ色々と可能性が残されていた時期に見たり聴いたり経験したから「記憶に強く残った」だけに過ぎません。例えばアニメで言えば40代の初老ステージに入った昔の方がオジサンは言います。
※文学上では40代は初老です。
「ガンダムが全てのアニメの始まりだよ!」
いやそんな事ありません。同一のものがないと信じたいだけで基本的に全ての作品は何らかのモデルが存在していて、そこに当時のクリエイターが可能な限りの魂を込めたに過ぎないのです。
ロボットとして映像作品は以前にもありました。ガンダムにはそれまでなかった「敵味方のどちらに正義があるのか分からない情緒」がある。どちらが正義か分からないキャラ設定なんて神話が語られた時代にすでに山のように登場しています。
「パクリでしょ」
なんて言うとガンダムファンに殴られそうですが、ぶっちゃけるとそうです。僕もガンダムは大好きですが「唯一無二!」なんてことはありません。そう思いたい自分がいることは事実です。オジサン化の現象です。
※オジサンだからこそ若い人に伝えたい「本当の意味で別れてはいけない女性の5要件」です。
今も昔も素晴らしいものはある
あなたが昔はよかったオジサンで無いことを願うばかり。一つ知っておいて欲しい事があります。
「今も昔も素晴らしいものは素晴らしい」
若い世代が見ているものを「感性が鈍ったあなた」が見ると「つまらないなぁ」と感じてしまいます。仕方ありません。もう老人なんです。今更若い頃の感動をもう一度!なんて言っても無理です。だからといって若者が「良いよ!」としたものに対して「昔は」なんて要りません。昔の作品の名前を出して今を否定するのは非常にダサい。否、ダサいを超えて害です。良いって言うものを否定される人の気持ちになれない老害になっています。
中年以降はやってしまう場面があります。気持ちの中で「あっちの方が良いよ!」って感情が湧き出します。それは僅かな瞬間に「怒り」に変わってしまうのが人間です。それでダサい一件理屈が通った論を展開させて歳で得た経験値と儒教が生み出した「年上を敬え」の理屈から若者が萎縮させられてしまうでしょう。まさに害。
何度も言いますが、もし今の時代に若者でいたとすればどうか。若者が言う「良いよ!」ってものに対して「本当だ!」と共鳴できた可能性はあります。「うっせぇわ!」とか「鬼滅の刃」とか「霜降り明星」とか認められていますか?個別の好き嫌いは別として「今のものは昔よりダメ」って発想はとても恥ずかしいもの。若い人はこういう人間についていかない方が良い。
※若い日にチャレンジすると多くのことをプラスに捉えて進んでいけます。教え子のでゅおさんはアフィリエイト実践から多くの発想を獲得されました。
若い頃見たものを心底楽しめない
「そんなはずはない!」
「昔のものは確かに良かった!」
分かります。しかし残念ながらそれは若い時に体感したからです。今の年齢になってもう一度体感して欲しい。懐かしいバイアスを捨てて純粋に。老人ながら俯瞰して見れないのならどうしようもありませんが、感じるはず。今の経験値と感性の低下が招く結果。
「そこまでじゃなかったな」
言い訳して「やっぱり面白い」と言いたくなるのは分かります。でも本当は分かるはずです。「あれ?こんなもんだったっけ?」と。それが自分についた嘘だって気付いています。ただ若い方々も知って欲しい。もう今さら「君たちの方が優れている」なんて言えません。だって感性豊かなあの日に戻れないから。
今「昔のほうがよかった」を体感して心が踊る高揚感が現れるかどうか。感動で涙出来たかどうか。出来ません。違うんです。もし今初めてその最高と呼べる昔の何かを体感したら「だから何なの」となってしまいます。
「最高と呼べる若い日の記憶が最高を生み出しているだけ」
だからこそ一つ考えて欲しい事があります。
少し良いと感じたら凄く良いもの
歳を取ると他人の何かを受け入れる姿勢は低下します。認めたら負けに感じてしまうのでしょう。承認欲求と言う今では「第一の欲求」として知られる言わばプライドに近いものが他者の意見迎合を邪魔します。だから他者が言うもの、特に若者が言うものに対して「NO」を突きつけたくなります。もちろん老年でも「良い」と感じるものはあります。
但しそれは若者とは違うはず。経験による複雑融合されたものだけを良しとする人も多くいます。老年になっているからこそ感じる良さに過ぎない訳です。
若者には若者の良さがあります。あなたが「昔の方が」と言うものを今若者たちは「良い」と感じて体感しています。だから若者の伝えるもので「僅かにでも良い」と感じたのなら大げさに「凄い!」と言ってしまって良いでしょう。そういう中年のオジサンってカッコいい。誰もが「昔の方が~」って言う中で「面白いやん!」「凄いね!」って言えるのは男前です。これは逃げではありません。
若者はこういう分かる大人についていって欲しいと感じます。オジサンがこう言っても若者時代に見た何かよりも感動している訳ではないでしょう。だから「ガンダムよりも良いですよね」なんて言う必要はないと若者も心得て下さい。感性の落ち込みを知った上であなたが感じているものに対しての評価を相対的なものにシフト出来る力を有している本当の意味での大人な人間というだけです。でも超カッコよくないですか?
今を否定し、若者の感性を否定する。物凄くカッコ悪いダサい害のあるゴミ老人だって言えます。「世に不要」と若者に毛嫌いされます。別に若者なんて要らんと考えてしまうのも寂しい人生です。物知り顔のオジサンは言います。
「過去の誰かが頑張った上で日本で生きているだけのスネカジリだろう!」
だから何ってことなんです。年上を敬う気持ちは持ちます。持ちますが必要以上には持たないと若者は決めていいでしょう。年上を敬う気持ちと年上に迎合して否定されることを受け入れるのは意味が全く違います。
「今の日本はオレたちが作った」
嘘つけってことですよ。さらに以前の日本人はいます。間違いなく今の時代を作っているのは今の時代に生きる全員です。過去は過去。さらに大過去があるのなら「誰の功績」なんて言えません。単にその時代を必死にその時代に合わせた生き方をしただけです。当時の人達も未来の私達に対して希望を繋ごうなんて全員が思っていたはずもありません。それは今も昔も変わりません。
※マーク・トウェインは人間の利己について語っています。実に興味深い内容なので興味ある方は一読を。
今の若者は楽でも何でもありません。今の時代を必死に生きています。過去を生きている人なんていません。過去に生きるって言ってみたら死んでるってことです、凄い、僕は幽霊ですって連絡下さい。怖いけど。もう一度言います。
「今の時代も良いものは沢山あるけど気付けなくなっているだけですよ」
これが「昔はよかったオジサン」に伝えたいことです。そしてウザいオジサンにやられている若者に伝えたいのは敬うと従うを間違えないでってことです。あなたが見ている「今素晴らしいと思えるソレ」は間違いなく素晴らしいものです。否定するオジサンがいたらもののけ姫風に言っちゃいましょう。
「黙れジジイ」
ジブリがすでに「オジサンが昔見たヤツでしょ」って思われる時代が来ている寂しさを感じています。僕は小さい頃から見て「面白い」って本気で思っているから。
若者は多くを経験せよ
何度も伝えていますが人生の思ったより早い段階で感性の低下は感じてしまいます。だから言いたい。若い頃に多くの経験をしておくに越したことはない。映像作品も漫画も小説も多くの種類を観て読むことを勧めます。古今東西関わらず体感して下さい。きっとオジサン達の言う「良さ」にも気付けます。
感性が豊かな時に見たからこそ価値観の広がりに大きく貢献したなんて話は枚挙に暇がありません。海外に行くのも若い頃がいいでしょう。引退してから行ったって大した体感値にはなりません。少なくとも価値観の変動なんて起こりません。時勢的に難しい部分ではありますが、開放されたら積極的に向かって下さい。
感性豊かな時に多くの経験しておけば後の世で「昔は良かった」なんてしょうもないことを言い出すオジサンにならずに済みます。
価値観の広がりはどこまで言っても感性が大きく影響します。低下してから幅を広げようとすれば若い頃の数十倍の苦労を要します。諦めも必要になります。強烈な事件が起こらないと変化もしません。若者は若いというだけで実は物凄いチャンスが目の前に落ちている状態です。
今回は「今より昔の方が良かったと思う考え方」の理由とオジサン化の戒め、そして今の若者がどう生きるのが良いのかを伝えてみました。反論もあるでしょうが関係ありません。以前も言いましたが、文章なんてものはそもそも全て「自論」です。
「それは違う」って考える人がいて第一歩と言えます。そもそも伝えたい人と考えている人はたった一人なので気にするでもありません。この話は下記の記事にて詳しく触れています。
※文章を書くのが苦手だなぁ、何を書けばいいのか分からないって方は一度聴いて下さい。全然変わった思想を手に出来ます。
筆者のつぶやきにも「いいね」ってしてもらえると嬉しく思います。たまに辛辣なこと言いますが、それは性格が悪いからです、ごめんなさい!