語らいでか!バトル・オブ・ブリテン
どうもミリタリーサークル「徒華新書」です。
本日のミリしら(ミリタリーの実は知らない)です。
@adabanasinsyo
筆者の北条岳人です。
@adabana_gakuto
随分間が開きましたが、ヴェーザー演習作戦の記事の続きです。
そして、実は戦史まとめ記事の関連記事、
というか「バトル・オブ・ブリテンなんて1大転換点であるのだから、本来であれば当然のものとして入らなければおかしいはずだった」部分ーー厳密には、それに加筆したものーーでもあります。
加筆に至る理由(読み飛ばして問題ない部分)
ぼくは大変に怒っています。
転換点の記事を作る際、色々なウェブページや解説動画を見ていたのですが、そうしていたら関連動画の中に「大人の教養TV」なるチャンネルの『【バトル・オブ・ブリテン】史上最大の航空戦を分かりやすく解説』という動画が出てきました。
「32分、とりあえず見てみるか……」と思ったのが間違いでした。
まず、2024年投稿の動画の分際で参考書籍が1つだけで、ダグラス・D・ディルディ著・橋田和浩監訳「バトル・オブ・ブリテン1940 ドイツ空軍の鷲攻撃と史上初の統合防空システム」(芙蓉書房出版、2021年)が入っていません。
ドイツ海軍のZ計画に一っ言も触れてないくせに、いちいちいちいち「卑怯に見えるような作戦をしていた訳です」みたいな、❝遠回しなクリーグスマリーネDisに聞こえるような❞表現を繰り返します。
21年出版の前掲書どころか、2011年のMCあくしずのVol.19のBoB特集においてすら「航続距離の不足や、都市空爆合戦になったことそのものはドイツ軍敗北の主因ではない」ことが指摘されているにも拘らず、
前時代的な、つまりはどんなに遅くとも2011年には既に否定されている「航続距離不足や都市空爆合戦という戦略ミスが敗因」であるかのような説明をしています。
一般論レベルにおいては、つべのコメント欄に1ピコメートルの期待もしてはいけないと知っていながら、❝スラミング❞めいて見てしまったのは本当に間違いでした。「日本からゼロ戦を送っていれば勝てた!」みたいな馬鹿なコメントがありました。
ふざけるなよと。なにが大人の教養だ、ぼくを無礼(なめ)やがってと。
無教養TVに改名しやがれすっとこどっこい一昨日来やがれってんだタコと。
また、ヴェーザー演習作戦に関する記事もそうです。
主催殿が「コミケ原稿を書く余力を確保するために、温存してある記事でお茶を濁しましょうか」と言うので、ぼくはあの記事を出しました。
その後、談義の中で「あの記事大したことない」と嗤われてしまいました。
なるほどね?「認識不足」(1930年代の日本の流行語。リットン調査団及びこれへの反応に由来)だったと?
❝主催殿❞の文化謀略に踊らされていたと?(映画「撃滅の歌」(1945)の台詞の捩り。実際は「アメリカの文化謀略に踊らされていたのよ」。)
省力化した記事を出せと言いながら、主催殿はぼくを嗤ったんですね?読者の皆様も「こいつ大したことない」とぼくを嗤ったんですよね?
いや絶対嗤ったに決まってるぞ、嗤ってないことを仮に閻魔大王が保証したとしても、ぼくは即座に閻魔との癒着を疑うからそんな保証は無効だぞ(偏執病的強迫観念)
さて、スアレス曰く
と言います。
先んじて無礼(なめ)られた以上、ぼくが全方位からの不正な攻撃に反撃・応射したとしても、伝統的正戦論に照らし合わせて全く正当な行いですよね?
語らいでか!バトル・オブ・ブリテン 海軍空軍の事情~とある海軍の裏事情~
Q.なんでゼーレーヴェ作戦やイギリス空爆を中止したの?馬鹿なの?死ぬの?そのまま殴り続ければいいじゃん!
A.気候とタイムスケジュール、海軍の残余についてただの一度でも考えたことは?
英本土近海の気象条件
海軍は「秋冬になるとイギリス近海は嵐が起きやすく海軍を動かしづらくなるので、遅くとも9月中には英本土上陸を決行しないと無理」と進言しており、9/26を上陸作戦の最終期限とする方針で決まりました。
それはつまり、その日までに空軍で敵の抵抗を排除完了していなければならなかったということです。だからこそバトル・オブ・ブリテンはゼーレーヴェの『前哨戦』なのです。
例えば12月まで攻撃を続けて「空軍は」、勝利したとしましょう。しかし12月は海軍を動かせる時期をとっくに過ぎています。実例を挙げれば、1940年12月28日に通商破壊のため北大西洋へ出撃しようとした戦艦シャルンホルストとグナイゼナウは、北海の嵐がひどすぎてキール軍港に引き返す羽目になっていますし、しかもその時グナイゼナウは損傷しました。
戦艦ですら損傷するほど激しい嵐が秋冬には頻発するというのに、輸送艦や駆逐艦のような小型艦が嵐に耐えられると本気でお考えですか?上陸部隊も乗ってるんですけど?
たとえ空軍決戦で勝っても本番の上陸作戦は春まで待たなくてはならない、では本末転倒もいいところです。
ドイツ海軍の残余
また、「仮に冬の英本土近海が静かな海だったとしても、そもそもこの時点でのドイツ海軍の残余的に、長引けば長引くほど苦しい」という事実も忘れてはいけません。
1940/4/1時点で現存していた大型水上艦(巡洋艦以上の水上戦闘艦)はたった10隻(戦艦2、重巡4、軽巡4。重巡にはドイッチュラント級3隻を含む)、駆逐艦は20隻しかありませんでした。
この、ごく僅かな水上艦は、4/9に発動したヴェーザー演習作戦、及びそれに付随して発生したいくつかの海戦(第一次・第二次ナルヴィク沖海戦、トロンヘルム沖海戦など)によって、
大型艦の中からは4月に投入されたばかりの重巡洋艦ブリュッヒャーと、軽巡洋艦ケーニヒスベルク及びカールスルーエの計3隻、駆逐艦に至っては20隻中の10隻(Z2以下9、11、12、13、17、18、19、21、22)も沈められ、
重巡洋艦ドイッチュラント改めリュッツォウは大破、戦艦シャルンホルストとグナイゼナウも損傷してドック入りしたのです。
大型艦10隻しかねえのに重巡1・軽巡2喪失、戦艦2重巡1が戦闘不能ですよ?これを大損害と言わずしてどう表現すんの??ねえ???
つまり1940年夏時点でのドイツ海軍の海上戦力は殆どないも同然である以上、気候のことがなくても英海軍と長期間対峙し続けるのは物理的に困難です。
39年のラプラタ沖海戦で自沈したアドミラル・グラーフ・シュペーを含む大型艦11隻と、40/2/22に沈んだZ1、Z3を含めた駆逐艦22隻の作戦行動履歴に全部目を通したので間違いありません。
無理ゲーだろこれ
いや、だってあなた海軍の人間の気持ちになって考えてみてくださいよ、ねえ!
重巡アドミラル・ヒッパーと軽巡ニュルンベルクとケルン、この3隻くらいしか大型艦を動かせそうにないんですよ!?この時点で退役してるライプツィヒとエムデンを無理やり再就役させて足しても5隻ですよ!?
重巡アドミラル・シェーアは9月までは改装艦橋の試験中だし、重巡プリンツ・オイゲンはBoB始める直前の8月1日、戦艦ビスマルクに至っては作戦最中の8/24竣工だから海上試験や訓練をこれからしなくちゃいけないんですよ!?
駆逐艦もZ7は7月中はノルウェーにおり8/24にキールでドック入りしてるし、Z10は7/27にグナイゼナウと衝突し損傷してるから駆逐艦10隻あるったって10隻全部を全部投入できるって訳でもないんですよ!?
この状態で、海洋帝国であるイギリスの本土上陸作戦をしなくちゃいけないんですよ!?
こっちには戦艦も空母もないのに、イギリス本国には戦艦も空母もまだ残ってるんですよ!?
少なくとも空母フューリアス、戦艦ネルソンやロドニーなどは本国にいますよ!?
駆逐艦なんて、6月中旬時点では53隻いるなんて言われてるんですよ!?こっちの5倍じゃん!!
「残っている」と「実際に投入されうる」は別物だとしてもーー事実として、例えば戦艦ネルソンやロドニーはイギリス海峡方面ではなく北方の港にいたとはいえ、どんなに少なくとも戦艦リヴェンジと軽巡洋艦エメラルドは確定で出てきますよ?
(ネルソンは8月中~9/5まではスカパ・フロー、13日からエディンバラ北西のロサイス。ロドニーは7/4~8/23 06:40までスカパ・フロー、同日21:10から9/10までロサイスで修理・改修。9/11にロサイスで待機しネルソンと合流するよう命令が出る。要はこの2隻はスコットランドにいる)
仮に英海軍「は」一歩も動かないとしても、ちんたらしてたら空襲されないとも限らないじゃないですか!
事実プリンツ・オイゲンは竣工前に一度空襲受けてるんですよ!!??
今ある大型艦が損傷でもしたらマジで終わりなんだよ!!??
っていう状況に置かれたら、空軍にはさっさと制空権を確保したり敵の港を潰してもらいたくないすか?一日も早く輸送成功させて「海軍はもう義務を果たしたが……お前は?」って言いたくないすか??
「イギリスが音を上げるまで、12月になろうが年が明けようが空軍で殴り続けてればよかったじゃんwwwwww」とか悠長なこと言ってるやつ、首の骨へし折れるまでしこたま殴りたくないすか???
よって、マジで英本土に上陸するのなら一日も早く空軍で蹴りをつけなければいけませんでした。でもタイムリミットに間に合わなくなってしまった以上、1940年の途中で作戦を延期したこと自体は当然の結果であると言ってよいでしょう。
……翌年にソ連に宣戦布告したことの是非は、またちょっと別の話になりますけれど。
語らいでか!バトル・オブ・ブリテン 海軍空軍の事情~とある空軍の裏事情~
Q.ってことはゼーレーヴェが中止になったの全部空軍のせいじゃん!
A.無茶言うなよ……
バトル・オブ・ブリテンでドイツ空軍が負けた理由として、よく
・ドイツ軍の主力戦闘機であったメッサーシュミットBf109は航続距離が短いから!
・爆撃機を護衛するはずだったメッサーシュミットBf110がBf109に護衛される羽目になったから!
・間違ってロンドンに爆弾落としちゃってから都市空爆合戦なんてしてる間に英空軍が復活したから!
とかなんとか言われてますが
そんなもんは全部枝葉末節の議論であって、本質を捉えていません。
例えば航続距離云々に関しては、バトル・オブ・ブリテンを特集したMCあくしずVol.19(2011年)で「もしゼロ戦が助太刀に行ってたら?」という仮定を出していますが、「40年夏にゼロ戦は数十機しかないからまず無理」と前置きした上で、仮に数百機のゼロ戦がいても結果は変わらなかったとしています。
それによると「爆撃目標を敵航空基地ではなく都市に変更したため、損害に耐えられなくなった」からであり、それはひとえに護衛戦闘機がBf109だろうがゼロ戦だろうが結果が変わるものではないことを示唆しています。
では、都市空爆合戦になったことが全ての原因なのでしょうか。それは部分的には正解なのかもしれませんが、根源に迫るものではありません。
ドイツ空軍の根源的問題とは
根源的な問題は2つあって、第一に「情報が不十分・不正確だったから」です。そのせいで各航空艦隊が独自に偵察や状況判断をするような状況となって作戦の統一性を欠いたり、空軍全体規模で不正確な情報に基づいた致命的な戦略ミスをも招いたことが失敗に繋がりました。
先に挙げた都市空爆合戦になったのは戦略ミスであるのは事実ですが、それは情報の不正確さに起因するところも大きいのです。
第二には「ドイツ空軍には時間がなかったから」です。
より正確に言うと、ゼーレーヴェ作戦の前提となった「絶対的な」制空権の確保を実現するために必要な粘り強さが欠けていたこと。
そして粘り強く攻撃をかけ続けるということは、時として「ドイツ軍全体としての」短期決戦戦略とは矛盾するということです。
両方の問題が関連する事案の具体的な例が、レーダー施設への攻撃です。
レーダー施設そのものは人間ではありませんから、たとえ送電線が切られようが爆撃でぶっ壊されようが、修理や新造、移設するなりすればレーダー施設は息を吹き返す訳です。
また、防空レーダー網は1つのシステムになっていますから、1箇所をぶっ壊しただけではシステムを止めることはできないのです。
ということは、ドイツ軍はレーダー施設に何度でも繰り返し爆撃をするべきでした。また、ある地点のレーダー施設を破壊したら、その近くのレーダー施設も壊しに行くべきでした。
しかし「第一の問題」で作戦の統一性を欠き、「第二の問題」で短期的なアプローチが求められた結果英軍のレーダーシステムを止めることができなかったがために、
「航空基地は潰したものの、事前に来襲を察知されて敵航空機は別の航空基地に避難しており、全然地上撃滅できてない」という事態を招いたのです。
ドイツ空軍の「第一の問題」
「第一の問題」の具体例には、8/12のレーダー施設攻撃が挙げられます。第三航空艦隊はレーダー施設への攻撃を主眼として中型爆撃機Ju-88を投入し、3日間に渡ってレーダー網を停止させました。
しかし第二航空艦隊は爆撃機ではなく戦闘爆撃機(爆弾を抱えた戦闘機)を投入したために、投下した爆弾の絶対数はどうしても少なくなり、せいぜい6時間程度しか停止させられませんでした。
但し、第二航空艦隊はレーダーサイト近くの飛行場も攻撃してるので「だから第二航空艦隊は戦犯だ」と指摘したい訳ではありません。
指摘したいのは、「レーダーの停止を主眼とした攻撃で、実際何日にも渡って止めた戦略的アプローチと、
飛行場を殴るしレーダーも殴るという戦術的アプローチが同時並行で行われるのは、作戦の統一性を欠きますよね?」ということです。
ドイツ空軍の「第二の問題」
「第二の問題」は、8/30~9/6のビギン・ヒルの戦いと呼ばれる航空戦の後に起きました。8/30~9/6に11回も爆撃されたビギン・ヒル方面指揮所は壊滅的な打撃を受け、英軍のレーダー網に大きな穴が開きました。
そのまま隣接するエリアの指揮所にも空爆を仕掛けるはずでしたが、空軍総司令官のゲーリングは9/7に「対地攻撃をしても全然効果が上がってない以上、都市を爆撃し敵戦闘機を❝最後の50機のスピットファイア❞に至るまで誘い出して殲滅するしかない」と都市爆撃への方針転換を命じます。
実は8/30に「ゼーレーヴェ作戦決行は9/21とする」との決定があり、プレッシャーに耐えかねたゲーリングはレーダー網の破壊を諦めてしまったのです。
(なお、その後悪天候の連続による作戦進捗の鈍化が原因で、「作戦をやるかやらないかの決定」を9/17、「やる場合の上陸日」は海軍が呈示した最終日である9/26にリスケジュールされている)
なんとも皮肉なことに、この「レーダー網破壊を諦める」という決定が致命的な誤りでした。
英軍のダウディング空軍大将とパーク少将は9/12に「もしビギン・ヒルに隣接する指揮所が同様に破壊されたら第11戦闘機群を撤退させざるを得ず、そうなれば英本土南東部の制空権はドイツに取られてしまう」との深刻な懸念を表明しています。
これは英軍がバトル・オブ・ブリテンに最終的な勝利を収めた9/15のたった3日前であり、英空軍の中枢でも最悪の想定をしなければならないところまで追い詰められていたのです。
しかしドイツ軍は「敵機撃墜による制空権の確保」に拘泥し、ダウディングらが懸念した事態は起こせませんでした。そればかりか、9/15に「ビッグ・ウィング」と呼ばれた英空軍大編隊との❝念願の❞航空決戦で敗北し、
ゲーリングの「あと4日か5日にわたって大損害を与えれば勝てる!」という抗弁も虚しく、9/17にゼーレーヴェ作戦は延期という名の中止に追い込まれるのです。
誤った命題は誤った結果を招く
つまり「敵航空機の地上撃破が十分にできておらず、故に敵には余力がある」という判断そのものは、全部が全部間違っているという訳ではありませんでした。
但し、前提理解の部分が間違っていました。
・「ドイツ軍が撃墜したと思ってる数」は「実際に撃墜した数」より遥かに多かったこと。
(但し、戦果の過大報告はいつ・どこの国でも日常的に起こり、時として戦時プロパガンダとして用いられることもある。イギリス軍でさえそうで、9/15の空戦戦果を当時は185機撃墜と発表していたが、本当に撃墜したのは60機前後と見込まれている)
・ドイツ軍のそれを遥かに上回るペースで英軍の戦闘機は製造され補充されていたこと。
(バトル・オブ・ブリテン全体を通じての撃墜レートで言えば1:1.77でドイツ軍が優勢だが、航空機製造レートで言えば1:3であった)
・前項2つより「この作戦は航空消耗戦の様相を呈しており、しかもそれに負けている」ことに気づかなかったこと。
この3点です。
以上3点の不正確な現状理解と、「期日が近いよ」というプレッシャーから「敵の方が劣勢(なはず)なので、都市空爆で敵航空機をおびき出して航空決戦を挑む」という❝短期的❞な解決を求めてしまったことが、ドイツ空軍の決定的な敗因です。
つまり因果が多少循環してしまいますが、
海軍からすればゼーレーヴェ作戦中止の原因は空軍が勝てなかったせいで、
空軍からすればバトル・オブ・ブリテンに勝てなかった理由は、海軍側のスケジュールに引っ張られて時間的余裕がなかったことも一因である
ということなのです。
……まあ、仮に制空権を取れていたとしても本当に上陸できたのか?とかは怪しいところなのだけれど……
語らいでか!バトル・オブ・ブリテン ~ところで陸軍は~
そういえば、陸軍は何をしていたのでしょう?
陸軍がやったのは「無茶を言い出すこと」と「醜態を晒すこと」です。
陸軍は「9個師団をさぁ、広い正面(=北海沿いの東側の海岸)から投げつければ一気にロンドンまでブチ抜いて終わりじゃね?」と言い出しました。
……前述した海軍の惨状で、圧倒的に優勢なイギリス海軍相手に、大規模上陸なんてかけられると思いますか?
ちなみにノルマンディー上陸作戦に投入されたのは5個師団とされています。誰が!!!!!どうやって!!!!!「史上最大の作戦」より大きい規模の軍隊を運ぶんだよ!!!!!ボケがぁ!!!!!!!!!!!!!!!
また、海軍の「英仏海峡という狭い海域を渡る」案にしぶしぶ同意した後、上陸用の舟艇が足りないことを認識してからはいくつかの対策を立てました。
・ライン川の水運に使ってる荷船を使う案:外洋航行能力が非常に低く、というかそもそもそんな用途を想定されておらず、穏やかな日以外は沈没するおそれがあった。
・はしけと牽引用タグボートを使う案:これを扱う人員が不足。はしけの航行速度は2~3ノットなので、英仏海峡の狭いところを渡るにも24時間以上かかる計算。
夜間に上陸を実施する予定だったのに、夜間上陸演習は一度も実行されず。
一度だけ演習が(昼間に)実施されたものの、はしけが転覆したり座礁したりして、視界も天候も良く敵もいないという実際にはまず起こり得ない絶好の条件の演習でありながら、上陸できたのは半分以下。
・桟橋を使う案:留め具は折れるわ、桟橋は沈むわ。
ちなみに「仮に渡れたとしてその後の補給どうするか1ミリも考えてなくてこれ」ですからね?
つまり海軍と空軍が仮に、万が一どころか億が一、兆が一、責務を完遂できていたとしても……
8/13追記
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参考文献
ダグラス・D・ディルディ著・橋田和浩監訳「バトル・オブ・ブリテン1940 ドイツ空軍の鷲攻撃と史上初の統合防空システム」(芙蓉書房出版、2021年)
ゴードン・ウィリアムソン著・手島尚翻訳「ドイツ海軍の駆逐艦1939-1945」(大日本絵画、2006年)
イカロス出版「MCあくしずVol.19」(2011年)
Kriegsmarine Ships<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/index.html>
Scharnhorst Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/battleships/scharnhorst/operatrions.html>
Gneisenau Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/battleships/gneisenau/operatrions.html>
Bismarck Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/battleships/bismarck/operations.html>
Deutschland / Lützow Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/panzerschiffe/deutschland/operations.html>
Admiral Scheer Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/panzerschiffe/admiralscheer/operations.html>
Admiral Graf Spee Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/panzerschiffe/admiralgrafspee/index.html>
Admiral Hipper Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/heavycruiser/admiralhipper/operations.html>
Blücher Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/heavycruiser/blucher/operations.html>
Prinz Eugen Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/heavycruiser/prinzeugen/operations.html>
Emden History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/lightcruiser/emden/history.html>
Emden Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/lightcruiser/emden/operations.html>
Königsberg Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/lightcruiser/konigsberg/operations.html>
Karlsruhe Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/lightcruiser/karlsruhe/operations.html>
Köln Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/lightcruiser/koln/operations.html>
Leipzig Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/lightcruiser/leipzig/operations.html>
Nürnberg Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/lightcruiser/nurnberg/operations.html>
Zerstörer 1934<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1934/index.html>
Z1 Leberecht Maas Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1934/z1leberechtmaas/operations.html>
Z2 Georg Thiele Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1934/z2georgthiele/operations.html>
Z3 Max Schulz Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1934/z3maxschulz/operations.html>
Z4 Richard Beitzen Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1934/z4richardbeitzen/tech.html>
Z5 Paul Jakobi Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1934a/z5pauljakobi/operations.html>
Z6 Theodor Riedel Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1934a/z6theodorriedel/operations.html>
Z7 Hermann Schoemann Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1934a/z7hermannschoemann/operations.html>
Z8 Bruno Heinemann Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1934a/z8brunoheinemann/operations.html>
Z9 Wolfgang Zenker Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1934a/z9wolfgangzenker/operations.html>
Z10 Hans Lody Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1934a/z10hanslody/operations.html>
Z11 Bernd von Arnim Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1934a/z11berndvonarnim/operations.html>
Z12 Erich Giese Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1934a/z12erichgiese/operations.html>
Z13 Erich Koellner Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1934a/z13erichkoellner/operations.html>
Z14 Friedrich Ihn Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1934a/z14friedirchihn/operations.html>
Z15 Erich Steinbrinck Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1934a/z15erichsteinbrinck/operations.html>
Z16 Friedrich Eckoldt Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1934a/z16friedricheckoldt/operations.html>
Z17 Diether von Roeder Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1936/z17diethervonroeder/operations.html>
Z18 Hans Lüdemann Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1936/z18hansludemann/operations.html>
Z19 Hermann Künne Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1936/z19hermannkunne/operations.html>
Z20 Karl Galster Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1936/z20karlgalster/operations.html>
Z21 Wilhelm Heidkamp Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1936/z21wilhelmheidkamp/operations.html>
Z22 Anton Schmitt Operational History<https://www.german-navy.de/kriegsmarine/ships/destroyer/zerstorer1936/z22antonschmitt/operations.html>
Admiral Scheer<https://www.angelfire.com/ia/totalwar/kmsScheer.html>
Gneisenau<https://www.angelfire.com/ia/totalwar/kmsGneisenau.html>
RAF Kenley 1939 - 1945<https://www.kenleyrevival.org/content/history/raf-kenley/1917-present/raf-kenley-1939-1945>
Document 12:Radio Direction Finding(Later termed as radar)<https://www.battleofbritain1940.net/document-12.html>
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Document-51:The Importance of September 15th<https://www.battleofbritain1940.net/document-51.html>
September 15th 1940 (Afternoon)<https://www.battleofbritain1940.net/0042.html>
August 30th - Saturday August 31st 1940<https://www.battleofbritain1940.net/0031.html>
September 1st 1940<https://www.battleofbritain1940.net/0032.html>
September 2nd - Tuesday September 3rd 1940<https://www.battleofbritain1940.net/0033.html>
September 4th 1940<https://www.battleofbritain1940.net/0034.html>
September 5th - September 6th 1940<https://www.battleofbritain1940.net/0035.html>
Document 43:German Plan of Attack on London<https://www.battleofbritain1940.net/document-43.html>
September 7th 1940<https://www.battleofbritain1940.net/0036.html>
HMS Nelson, British battleship, WW2<https://www.naval-history.net/xGM-Chrono-01BB-HMS_Nelson.htm>
HMS Rodney, British battleship, WW2<https://www.naval-history.net/xGM-Chrono-01BB-HMS_Rodney.htm>
HMS Revenge, British battleship, WW2<https://www.naval-history.net/xGM-Chrono-01BB-HMS_Revenge.htm>
HMS Emerald, British cruiser, WW2<https://www.naval-history.net/xGM-Chrono-06CL-HMS_Emerald.htm>
HMS Furious, British aircraft carrier, WW2<https://www.naval-history.net/xGM-Chrono-04CV-HMS_Furious.htm>
U-boats in Atlantic, September 1940<https://www.naval-history.net/xDKWW2-4009-22SEP01.htm>
Operation Sealion(アーカイブ)<https://web.archive.org/web/20070226190801/http://www.flin.demon.co.uk/althist/seal1.htm>
Why Operation Sealion Wouldn't Work(アーカイブ)<https://web.archive.org/web/20061208084055/http://gateway.alternatehistory.com/essays/Sealion.html>
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