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もう一つの物語。

講談の声に耳を傾けながら、
ふと感じたことをここに綴ってみたい。
昔話特有の勧善懲悪の明快さ、
その潔さには不思議な魅力がある。
人は分かりやすい物語に感情を預けやすく、
その世界に深く身をゆだねる。
しかしながら、その魅力にひとたび浸りきった後には、作り手が思い描いた狙い、
あるいは語り手が示唆する見解を意識せずにはいられないのだ。

人の世とは不可解なものです。
一つの事件が生まれ、その経緯と背景が物語として固まり、時代を超えて語り継がれるうちに、
片側の真実だけがあたかも普遍的な「事実」として受け入れられる。
そして「赤穂事件」もまた、
忠義の物語の影に静かな物語をひそやかに隠し持っているのです。

浅野内匠頭と吉良上野介、二人の対立の物語は、いつしか忠君愛国の象徴へと昇華され、
赤穂浪士たちが討ち入りを果たしたその瞬間が「結末」として語られてきました。
しかし、私たちは「義の美学」に心を寄せすぎるあまり、彼らの行動の影に隠れた、
別の立場でこの事件を見つめる者たちの視線を、見落としてはいないでしょうか。
吉良上野介、
彼は本当に冷酷非情な悪人であったのか、
果たして一方的に忠義の犠牲者として終わるべき存在であったのか。
その問いを胸に、もう一歩引いて見てみると、時代の倫理と人間の心理が絡み合い、
曖昧な光と影が揺らめくさまが浮かび上がってくるようです。

幕府の礼儀や格式に厳格であった江戸時代、浅野家と吉良家の間には礼金の多寡や地位の差が横たわり、そこには私たち現代人には理解し難いほど複雑な武士道の価値観が息づいていました。
忠義、礼節、名誉—
これらの観念に従って生きることは、
吉良にとってもまた大事なものであったでしょう。あるいは赤穂浪士たちが感じた主君への忠誠心も、所詮は一つの解釈に過ぎず、吉良義央の目から見れば、その忠義はあまりにも一方的で過酷なものだったのではないか。彼がただ格式を重んじたがゆえに誤解され、社会的に「悪役」としての烙印を押されただけだったのかもしれません。

しかし私たちは、浅野家の名誉のための壮絶な仇討ちの物語にあまりにも心を奪われているあまり、吉良家の「正義」とその理に目を向けることが少ないのです。その背景には、武士道の美学という枠組みの中で零れ落ちた人間の苦悩が見え隠れしており、その余韻がいまだに赤穂事件の物語に残されているように思えてならないのです。

時代の流れは無情です。
私たちが愛する物語は立場や状況の細部をそぎ落とし、ひとつの感情や価値観を強調することで成り立っています。赤穂事件もまた、後世の想像と理想によって形作られ、忠義の物語としての輝きを増してきました。
しかし、その背後で吉良家の人々がどのような思いを抱き、どれほどの苦悩に苛まれていたかにはほとんど触れることがないのです。

忠君愛国の精神は確かに美しいものです。
しかし、その美しさが表に出るとき誰かの痛みや葛藤が覆い隠されてしまうこともある。
この事件を通じて、私たちは表と裏の両面を見つめるべきなのではないでしょうか。
真実とは決して一面的に語られるものではない。それぞれの視線、それぞれの立場から見たときに浮かび上がる景色こそが、物語の深層にある真実であると私は信じてやみません。

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