言語学の話②ニュースピークと語彙

今回は言語学には触れるものの、全体的に読書感想文みたいな内容になります。結構長くなってしまいましたが、興味のある方はぜひ読んでください!

『一九八四年』の世界で用いられている言語、ニュースピーク。今回はこのニュースピークという言語から考えたことを色々と書いていきたいと思います(もしかしたら『一九八四年』のネタバレを含んでいるかも知れないので、ネタバレを避けたい方は読むのをお控えください)。

1. ニュースピークとは

『一九八四年』の世界で用いられている言語であるニュースピークについて、新訳版(高橋和久訳)の附録「ニュースピークの諸原理」冒頭では次のように説明されています。

“ニュースピークはオセアニアの公用語であり、元来、イングソック(Ingsoc)、つまりイギリス社会主義(English Socialism)の奉ずるイデオロギー上の要請に応えるために考案されたもの(p. 481)”

難しい話をしている感じですね… (自分は理解できませんでした)
ニュースピークの特徴についてはこの記事で後ほど詳しく(できる限り分かりやすく)述べていきますので、上の説明がよく分からなくても大丈夫です。

ニュースピークの前に使用されていた言語はオールドスピークと呼ばれ、これは現在の標準英語にあたります。ビッグ・ブラザー党が全てを支配するディストピアでは、(彼らにとって都合の良い言語である)ニュースピークが、徐々にオールドスピークに取って代わっていきます。

2. ニュースピークと品詞転換(conversion)

ニュースピークが面白い(そして怖い)のは、語彙がどんどん縮小していくという点にあります(ある言語において語彙の種類(数)が増えることを「語彙の拡大」と言ったりします。逆にこの記事でいう「語彙の縮小」は単純に、ある言語において語彙の種類が減ることを指します)。
ニュースピークの単語は①A語彙郡 ②B語彙群 ③C語彙群に分類されています。ここでは比較的理解しやすいA語彙群の例から、ニュースピークにおいてどのように語彙が縮小しているのかを見ていきましょう。

ニュースピークの語彙には「名詞兼動詞」というものがあります。これは1つの単語が名詞と動詞両方の機能を兼ね備えているものを指します。
例えば、ニュースピークにはcut (切る)という語は存在していません。代わりに"knife"が(ナイフ)という名詞の意味と(ナイフする=切る)という動詞の機能の両方を獲得しています。この名詞兼動詞の存在によって、オールドスピーク(英語)では存在していた名詞あるいは動詞はどんどん削られていきます。

個人的には、名詞兼動詞は「ゼロ派生(zero derivation) 」の一種なのかなと思います。ゼロ派生とは、いわゆる「品詞転換(conversion)」の1種(あるいは別の呼び方)です。
そもそも品詞転換とは何か。慶應の堀田先生(2009)は品詞転換を「接辞を付加せずに,ある項目を新しい語類に加えること,ないし転じること」と定義しています。接辞(affix)とは「文法的な機能を担い、それ自体では語として自立しえない形態素のこと(Wikipedia)」です。この特徴はまさに、言語学の話①で触れた拘束形態素(bound morpheme)の特徴です。そのため、「接辞=拘束形態素」として考えてもらって大丈夫です。

quick→quicklyは「形容詞→副詞」と変化する段階で-lyという拘束形態素が付加されていますが、love (愛)→ love (愛する)は「名詞→動詞」の変化の中でその形態に変化がありません。この後者の変化を品詞転換といいます。また、「接辞が無いのではなく、ゼロ接辞によって派生した」と考えられることもあり、品詞転換はゼロ派生と呼ばれたりもします。loveの例を考えると、ニュースピークにおけるknifeという名詞兼動詞も品詞転換(ゼロ派生)している語の一種であると考えられるのではないでしょうか。

(言語学の話①でも形態論を中心に扱っています。ぜひ読んでみてください!)

また上の「knifeする=切る」例は日本語でいう「ご飯する=食事をとる」のような意味解釈に似ているような気もします。

ただニュースピークの怖いところは、knifeが動詞的機能を獲得した結果、cutという語が消えてしまった点だと思います。日本語では「ご飯する」が「食事をとる」という意味を表せるとはいえ、「食事をとる」という表現も普通に使用されています。英語でもGoogle が「ググる」という動詞的意味を持っているものの、search for information on the internet のような表現はされているでしょう。
語彙がどんどん削られて、表現の幅が狭められていくニュースピークには何とも言えない怖さを感じました。

また、形容詞と副詞の語形成にも語彙の縮小が確認できます。
ニュースピークで形容詞を作るとき、名詞兼動詞に-ful(〜に満ちた)が付加されます。speedに-fulがついて「speedful=rapid」になり、rapidはニュースピークでもはや使用されなくなっています。
副詞を作るときは名詞兼動詞に-wise(〜方式で)が付加されます。「speedwise=quickly」のような感じです(-wiseは現代英語のclockwise(時計回りに)にも見られますね)。名詞兼動詞にこのような接辞を付加すれば事足りるということで、ニュースピークでは形容詞や副詞も削られていきます。

3. ニュースピークにおけるantonymと言語学習

ニュースピークのantonymの作り方にも、語彙の縮小が見られます。(antonymの訳には反意語・反対語・対義語等様々ありますが、どれか1つに訳すと日本語のニュアンスに差が生じてしまうため、ここではそのままantonymとします。)
ニュースピークではantonymは無駄なものであると考えられています。この記事を書くきっかけになった登場人物のセリフからも、その意識が強く伺えます。

"(前略) 名詞にも抹消すべきものが何百かはあるね。無駄なのは同義語ばかりじゃない。反義語だって無駄だ。つまるところ、ある単語の反対の意味を持つだけの単語にどんな存在意義があるというんだ。一つの単語にはそれ自体に反対概念が含まれているのさ。 (p. 80)"

つまりこの人物が言っているのは、「良い (good)」という語の反対概念(悪い (bad))を表すには「非良い (ungood)」で事足りる。そのため「悪い (bad)」という語は存在しなくて良い、ということです。「"良い"か"非良い"か」のどちらかになり、「素晴らしい、申し分ない」等の"良い"の強い意味を表すには「超良い、倍超良い」と表せば事足りる。そうして語が持つ曖昧性を徐々に消していくという営みを彼は自信と誇りをもって行っています。

語彙の多様性が失われてしまうというのは言語大好きな自分からするととても寂しい感じがするのですが、ひょっとしたらこれは言語学習の観点から考えるとむしろ良いものであるかもしれません。
どんな言語を勉強するにしても、語彙学習が1つの壁となるのは自明でしょう。ニュースピークのようにできる限り語彙を削れば、学習は容易になるのかもしれません。

けどやっぱり、同義語のニュアンスの差を考えたり、un- と in- はどちらも否定的なニュアンスを持つ接頭辞だが、ではなぜumpossibleではなくimpossibleなのかとか考えたり、そういう事が好きな自分にとっては語彙の数が減ってしまうのは寂しいです。

言語学の話①で「異分析によって忘れ去られたnapronの気持ちを考えると…」と書きましたが、やはり存在意義を奪われた語彙は何となく可哀想に思えてしまいます。この世に存在する何かしらの物質あるいは概念を表現するために生まれてきた言葉には、たとえ似たような意味の言葉が新たに生まれたとしても、やはりずっと存在し続けてほしいなと思います。

4. 今回の専門用語ざっくりまとめ

・品詞転換 (conversion):ゼロ派生 (zero derivation)と呼ばれることもある。接辞を付加せずに,ある項目を新しい語類に加えること,ないし転じること。love (愛(n.))→ love (愛する(v.))など。
・接辞 (affix):文法的な機能を担い、それ自体では語として自立しえない形態素のこと。拘束形態素とほとんど同質のもの。
・antonym:反意語・反対語・対義語などと訳される。良い (good)↔悪い (bad)などの様々なペアがある。

5. 参考文献

堀田隆一. (2009). hellog~英語史ブログ #190 品詞転換.

また、今回の記事は『一九八四年 [新訳版] (高橋和久 訳)』を基に作成しました。Amazonのリンクを貼っておきますので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。


ではでは。最後までお読みいただきありがとうございました。

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