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個人の意志を圧倒した道徳的な構成


遠き理念の浮遊する彼方に、


個人の意志は、


ひそやかな影のようにたゆたう。


道徳の構成は、


光の波のように押し寄せ、


個々の選択をわずかに弾き返す。


意志は確固たる存在だと信じられているが、


そこに訪れる道徳という名の荒波が、


一つの力となり、それを溶かし、


流れを押し寄せる。


道徳が指し示す「善」は、


指標のない夜空に浮かぶ星々のように、


絶対を求めて輝き続けて、


その眩い光の背後には、


個々の意志が微かに震えている。


それはまるで夜を泳ぐ小舟が、


北極星に導かれながらも、


大海のままならぬ流れに揺れるような姿。


選択の自由、それは砂上に刻まれた道のように、


刻々と失われゆく定めを持つ。


道徳の力は、砂粒をまとめる風の如く、


個人の選択の一つ一つを取り囲み、


時にそれらをもてあそぶように組み替える。


道徳の構成は静かに答えを覆い隠す。


まるで巨大な石碑が、刻まれた文字を


年月の風化で隠すかのように、


道徳もまた、正当な意志の根源を包み込み、


見えざる形で自己を押し通してゆく。


個人の意志はか弱き光であり、


道徳はその光に明暗を与える曇りなき鏡。


その鏡が示す景色は決して


単色ではなく、無数の層を持つ。


個々の意志が力を得たとしても、


鏡に映るそれが「正しき姿」として


認識されるためには、


道徳的構成に従うことが必要とされる。


その構成は、無形の手が筆を握り、


絵を描き直すかのごとく、


私たちの生のキャンバスに


新たな線を引き続ける。


自由は道徳の中で細分化され、


選択はその構成の奥に潜む。


道徳に圧倒された


意志の深き問いかけの奥に、


果てなきその存在の痕跡は


認識の闇路に微かな光芒を放ち


永遠の循環を続ける。


空虚な眼差しが見つめる先で


社会という名の巨大な歯車が軋む。


個の意志は霧散し、


集合的な正義が降り注ぐ。


誰もが正しさの檻に囚われ、


自由という幻想に縋りながら


道徳という鎖で縛られた魂は


静かに震えている。


白と黒の境界線で


グレーゾーンを踏みにじる群衆、


「善」という名の暴力が


個人の声を掻き消していく。


倫理の傘の下で


雨に濡れることを恐れる人々は、


自分自身の影すら


見失ってしまった。


けれども その圧倒的な重圧の中で


なお灯る小さな炎がある。


それは決して消えることのない


個の尊厳という光。


社会という巨大な建造物の中で


私たちは何を守り


何を失ってきたのだろうか 。


道徳という名の下で


幾つもの魂が窒息している。


しかし、この圧倒的な構造の中に


従順な服従でもなく


盲目的な反逆でもない


個と全体の調和という


新たな地平線への道が隠されている。


人は小さな意志を持ち歩く、


波打つ思念のひだに身を包み、


か弱き火をかざして進む、


自らの選び取るべき道を照らすために。


しかし、意志は無力、


壮大なる道徳の構築物の前では、


彼の歩みを試みる意思は


見えざる重力のように引き戻され、


言葉と枠組みの迷宮へと絡め取られる。


理想の塔は積み上げられ、


我らの思考を削り取り、


滑らかな面を描き、


自己と他者の境界線を無視し、


理性の棘を取り払い、


無垢の信仰の如き形而上学の重みで


我が小さき意志を押し潰す。


個人が選び、切り取る価値は


道徳の波の中で意志は削られ、


次第に他者のために形を変え、


己の輪郭を失う。


選択の自由は束の間、


重なる価値の布の下で


沈黙するよう求められる。


だが、意志はそれでも、


しぶとく息をする。


一筋の光のように、


揺らぎながらも、


生存の証を放ち続ける。


道徳の構築が覆い尽くしても、


一握りの自由が、


誰かの心の奥で叫ぶ。




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