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信じるということ〜人間の弱さと向き合う〜

人間は信じないと生きていけない弱い生き物?

よく人間関係の相談を受けます。そうすると「人間不信になりそう」「もう人間は信じられない」「どうせ裏切られるならもういっそいう信じない。」といった言葉を聞く機会が多いです。辛いことですね。信じることは辛い現実を引き起こす悪いことなのでしょうか。

今回の記事では信じるとは何かということから考え、信じることはいいことなのかどうか、現実的な「信じる」との向き合い方について考えていきたいと思います。


信じるとは何か

信じるとは何かを考え始める前にまずは「信じる」ということがよく使われるシチュエーションについて考えてみましょう。
・パートナーを信じる
・友達を信じる
・神を信じる
・合格を信じる
・勝利を信じる

一般的にはこんな感じでしょうか。以下のようなこともあるかもしれません。
・〇〇に天罰がくだされることを信じる
・〇〇が地獄に落ちることを信じる
願うという方が正確かもしれませんが良い意味だけで使われるとは限らないですよね。

このようなときに使われる「信じる」の共通点は何か。
それは自分にとって善であることを期待することです。

ここでいう善とはよく使われる一般的な「善悪」「良いこと悪いこと」ではありません。ここでのとは「その人にとって良いこと」という意味です。
例えば、
・パートナーが私のことを愛してくれること
・友達が相談にのってくれること
・神様を信じることによって幸福がもたらされること
・希望の高校、大学に合格していること
・勝ちたいと思っている試合に勝つこと

悪い例でも同じです。
私にとって〇〇が地獄に堕ちれば私は幸せ
私にとって〇〇がこの世からいなくなればスッキリする

ある意味ではこの世の中には悪は存在しません。その人にとっての善であるからです。人を殺すことは一般に悪である行為ですが、その人にとっては殺すことが善なのかもしれません。

少し話がそれましたが信じるとは
自分にとって善であることを期待することであると私は考えてます。

信じるとはいつ生まれたのか

ところで「信じる」とはいつの時代から生まれた概念なのでしょうか。

私たちはお金を使って生活をしています。そしてお金というものは「信じる」ことから生まれています。1万円札は確かに1万円のものと交換できますが、お札自体に価値があるのではありません。あんなの紙切れです笑

ではなぜ私たちが1万円のものを買うことができるのかというとそれはみんながそれには1万円の価値があると信じているからです。

貨幣の歴史を遡れば最古の貨幣はリディア王国で作られたエレクトロン貨です。これは紀元前670年ごろのお話です。貝殻がお金として使われている時代も考えれば紀元前4000年以上も前から「信じる」というものがあったことになります。

以下は私の憶測です。

ホモサピエンスが他のヒト属と異なる点の一つとしてよく言われるのは、抽象的な概念を理解し、それに基づいて行動できる能力にあります。この能力が「信じる」という行為につながっている可能性は高いと考えられます。当時の人々がどれだけ「動物的」であったとしても、社会的な結束や協力のためには何らかの「信頼」や「信念」が必要だったと思っています。

私がここで言いたかったこと。それは人類が生まれ社会を形成したその時からずっと「信じる」ということが行われ今の私たちがいます。

つまり、信じないなんてことはできないということです。私たちは信じることないしで生きていけません。

てことは、「どうせ裏切られるならこの先悲しみと絶望の人生しかないじゃん」ってなる人もいるのではないでしょうか。

それではこの問題に対して現実的にどう解決していけば良いのでしょうか。それを考えていきましょう。

人間という弱さを受け入れる

まず前提として受け入れなければならないこと。それは人間は誰しも信じているという事実。私たちが信じようとしてもしなくても社会という中で生活している以上何らかの見えない力を信じています。そしてその見えない力を信じなければ生きていけないのです。

例に出したお金もそうですが道徳という見えない力を前提に社会は成り立っていますよね。時間という概念も人間が作り出しているだけです。
もちろん、そいういうことじゃない!というのはわかっています。

ここで言いたいことは「信じる」それ自体には良い悪いもないということです。信じるそれ自体を恐れることはありません。みんなやっていることでありみなさん自身もやっていることだから。

それでは何が問題なのか。それは期待です。

期待は自分の理想の押し付け

もう一度信じるについて。
自分にとって善であることを期待すること

期待するかどうかは自分の課題ですが、その通りに動くかどうかは他者の課題です。他人と結果はコントロールできません。コントロールできないものに自分にとっての善を押し付けてもそれは叶う時、叶わない時ありますよね。コントロールできないのだから。悲しむ結果になることもあります。

それは信じちゃいけないのと同じじゃんって感じですよね。

自立すること

ここで一つ私の好きな言葉を紹介します。

『ひとりで生きていけるふたりが、それでも一緒にいるのが夫婦だと思う』

これはTiffany&Co の「11/22(いい夫婦の日)」キャッチコピーです。
私はこれは夫婦だけに当てはまることではなく、普通の人間関係にも当てはまると考えています。

自立とは何かあっても、もう一度立ち上がり前へ進むことができることだと思います。

悲しまない人生なんてものはない。人間は悲しみを受け入れながら生きていく動物だと思います。そして悲しむことが悪いことでもありません
悲しい時は悲しい、辛い時は辛い。たとえそうであっても人生はこれからどうするかの積み重ねであり前に進むしかありません。

依存先を増やすこと

例えば所属しているコミュニティが10個ある人はそのうちの1つで人間関係で何か問題があっても他の9個のコミュニティに逃げることができます。
しかし、もし2個あるいは1個だった場合、簡単に言えば居場所の大半を失うことになります。そうなっては人間関係どころか自分というものが危うくなってしまいます。

自分にとって居場所を増やすことは余裕をうみ出すことができます。
期待を分散させることによって日々の生活をバランスよく過ごせるのではないでしょうか。

まとめ

人間は「信じる」ことで生きていますが、それは弱さではなく、むしろ人間が社会を形成し、進化してきた証です。信じることのリスクを理解し、その上でどうバランスを取るかが重要です。信じること自体を恐れる必要はありません。信じることで得られるものは、かけがえの無い大切なものとなるでしょう。


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