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あくあゆの浄土真宗聞法体験記 (2)

法話会での体験談発表その1


ここからは光雲な聞法グループで発表した原稿から個人情報を除いた加筆修正版となります光雲な聞法グループというのは、本願寺派の僧侶である久保光雲先生が主催する浄土真宗の聞法グループです。

それでは、始めます。
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今回光雲先生に貴重な機会を頂きました。どうもありがとうございます!
 まずは自己紹介です。 

あくあゆ 56 歳 

静岡県富士市在住です。大きな富士山を真正面(だと思っている)に望み、山や海に囲まれた穏やかな場所に住んでいます。 

妻と息子(社会人)の三人暮らし、娘は東京で念願のデザイン関連の仕事に就くことが出来ました。家族関係は順調です。 

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子供時代は死ぬのがとても怖かったです。布団に入ってこれから寝ようと思ったときに、「今までの人生があっという間だったからきっと死ぬときもあっという間にやってくるんだろうな」そう思うと身体がギュッとこわばって、どうすることもできない怖ろしさにさめざめと泣いていました。 

私が浄土真宗の教えを聞くようになったのは大学生の時、S会の学生部の勧誘がきっかけでした。 

S会に入る前は、自分なりに正しい気持ちで過ごしていれば魂は良い世界にいけると思っていました。「人生の目的はなんだとおもいますか?」と質問されたとき、「自分がこの世でできることを精一杯すること、そういった思いはこの世に残ってどこかで受け継がれる」と思ったか答えたと思います。

私が築き上げたもの全ては私が持っていくことが出来ない、だけど死によっても崩れることがない幸福があると聞いたときにそれはなんだろう・もうすこし聞いてみたいと思いました。 

合宿に参加したり、法話会で各地に遠征したりと慌ただしい日々を過ごしていました。一年ほど頑張りましたが、周りに獲信した人がいないこと、書籍の販売や新会員の勧誘のノルマがキツいこと、そもそもお芝居をしたかったことなどの理由から、会から逃げ出しました。 

そして念願のお芝居を始めたのですが、仏法を否定して辞めたのではないことや後生の一大事のことなどがあって、心の片隅にずっと残っていました。

その後、大学の友だちと劇団を立ち上げて年に一回程度の公演をするようになりました。 

私は小さい頃から学芸会などで演じるのが好きでした。高校の演劇部で「俺たちは天使じゃない」というミュージカルタッチのお芝居をやって、より魅力にハマりました。 

劇団は大学の友人二人と私の三人で立ち上げました。 

コミカルでシュールなお芝居で、野田秀樹の「夢の遊眠社」に近い感じです。 

ちょっとタイトルでは内容がわからないかもしれませんが、公演した作品として「梅の木」「制服のパピル」「数え切れない羊たちの想い出」などがあります。 

ただ、お芝居は楽しいですが、それだけで食べていける人はほんの一握りです。仕事をしながらお芝居を続ける日々にも終わりが来ます。 

劇団は無期限休止となりました。 

それからは社会人として仕事を続ける毎日でしたが、突然友人と二人で旅に出てしまいます。車中泊をしながら日本一周してみたくなったのです。

東京から福井県まで行き、水道設備の会社で住み込みで働かせてもらいお金をためてから日本海経由で北海道に渡りました。北海道各地を巡りましたが、資金が尽きたので居酒屋に住み込みで働かせてもらいました。

そこでまた資金をためてという予定でしたが、そこでの生活が案外気に入ってしまい、結局働き続けることになったのです。 

このまま北海道で暮らすのも悪くないなと思ったのですが、地元で事業をしていた父にできることなら家業を手伝ってほしいと頼まれ故郷に戻ることになりました。

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