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まだここにいたいと思える場所に居る 世界にひとつの部屋にただいま

数ヶ月前、秋の人事に向けて、転勤の打診があった。
結局、コロナ禍の影響もあって転勤の話は打診段階で立ち消えになったのだけど、「内勤の9割は転勤がない」とタカを括っていたので寝耳に水だった。

びっくりしたことは、転勤の話そのものもだけれど、私が「この街を離れたくない」と強く思っていることに気付いたことだった。
呼び出された会議室を出て、自分の席に戻る前にトイレに立ち寄って、気付いたら個室の中でハンカチを握りしめて泣いていた。ぽろぽろと涙がこぼれるというより、「いやだ」という言葉と一緒に涙がじわじわと滲み出てしまっていた。


私だって、全国にオフィスを持つ会社に入ったのだから、転勤の可能性がゼロではないことは覚悟していたはずだった。
入社面接の時には「転勤もありますが大丈夫ですか?」という問いは受けたし、当然「もうとっくに実家も出ていますし、大学では今より遠方に暮らしていたので大丈夫です」と答えた。何なら「会社のお金で今よりいい所に住めるならラッキーかもしれない」とさえ思っていた。
それなのに、いま住む街を離れたくないと思った。そもそも私に、住む土地へのこだわりなんて人一倍なかったはずなのに。


子どもの頃なんて、転勤族に少し憧れていた。閉塞的な田舎から自力で逃げ出す術を持たない子どもだった時代、転勤族のことを「いろんな街から街へと移れて羨ましい」なんて思っていた。
地元に執着する親のことを「こんなに何もない土地を、ここに生まれたというだけで離れられないと思い込んで、人にもその思想を押し付けるなんてバカみたいだ」と思っていた。

高校生の頃は「私が合格できるレベルの国公立で、この街から出られるなら、進学先は別にどこでもいい(この街より田舎じゃなければ)」と死ぬほどアバウトな志望校の決め方をしていた。

大学に入り、実際にまったく視野になかった地方に住んだ時は、車がなければどこにも行けない土地柄に絶望した。
学費免除を受けていた身で車など持てるはずもなく、「ここでも地元でもなく、公共交通機関だけで好きなところに気軽に行ける街に住みたい」と昔よりちょっとだけ具体的に願っていた。
4年間がとてつもなく長く感じて、ある時は「3年次編入をしたい」(学費引越し代諸々を捻出できないと断念した)、またある時は「途中でキャンパス移動のある学部に行けばよかった、むしろそういうシステムにしてくれ」とか考えていた。


就職先が地下鉄も走っている大きな都市に決まったときには、ようやく少しだけ住む街に愛着を持てるかもしれないと期待した。
ところがそれは大きな間違いで、街中になるとひと駅の違い・ひと路線の違いが大きな住環境の違いになるのだと、私は分かっていなかった。

入社前に聞かされていた初任給だと、手取りは20万円もない。残業もそれほどない代わりに、残業代で稼ぐこともできない。朝のラッシュ時の乗り換えは不安だから、会社の最寄駅には一本で通いたい。学生時代のアパートはインターホンもオートロックもなかったからそれも欲しい。それでも月に数万円は貯金もしたい。

そう思った私は、会社の最寄駅を通る路線のうち、最もローカルな路線の終点近くに住むことにした。部屋から駅までは徒歩15分、会社までは10駅、ドアドゥドアで約40分。
私の払えそうな家賃で、インターホンオートロック付き、バストイレ別といった条件をクリアしようと思うとそこまで離れる必要があった。


結論から言うとこれが安易な選択だった。
買い物に行こうと思っても、スーパーまでは片道10分。しかもずっと上り坂で主要道路なのに明るくもないから、夜には行きにくい。駅までも徒歩15分だから、天気が悪かったり寒かったりすると出かけるのは億劫になる。

定期で行ける範囲に繁華街はない。何をするにも乗り換えが必要だから「ここには数百円払って行きたい?」と自問自答してしまうと行けなくなる。
帰省をする時に使うようなターミナル駅は、同じ市内にあるはずなのに乗り換え込みで40分超かかる。これじゃベッドタウンに住んでいるのと変わらない。

当時の会社には同期もいないし、学生時代の友達は大学のある県やそれぞれの地元にいるから絶妙に近くにはいない。休日に誰かと会って他愛のない話をすることもできなかった。
気付いたら、誰とも話さない休日がたくさんあった。平日も会社の人としか話さないから、敬語でしか喋っていないなという日ばかりだった。
この街から抜け出したくて、転勤のない会社で「いっそ誰かがどこかに転勤させてくれたらいいのに」と思っていた。



転機は、現職への転職と引越しだった。

転職した理由に住まいは関係なかったのだけど、転職に伴って毎日通勤のたびに乗り換えが発生した。
給料が上がったこともあり、乗り換えの煩わしさの解消のために、ターミナル駅直通の主要路線沿線に引っ越した。部屋から駅までは徒歩5分。会社までは3駅、ドアドゥドア20分程度。劇的な革命だった。めちゃくちゃ便利になるぞ、とテンションが上がった。
そうして通勤の利便性を重視して住み始めた街なのに、どうやら私はここがすっかり気に入ってしまった。


今住んでいる街は、人気路線のエアポケットみたいなところだ。
ひと駅先は繁華街、ひと駅手前は学生の街。地下鉄を挟んで反対側の街はオシャレな住宅街。そんな中でここは、少しオフィスがあるだけで夜がメインの街だ。駅を出て1分も歩けば、夜のお店たちのネオンがちかちかしているのが見える。

でもまあコンビニもスーパーも近くにいくつもあるし、5分も歩けば手前の駅に近付いて少し雰囲気も落ち着く。
そうしてたどり着ける我が家は、インターホンオートロック付きでバストイレ別なのはもちろん鍵は二つ付いているし、宅配ボックスやエレベーターも完備されていてさらに新築だ。


自分がこの部屋の最初の住人。
そんなのは初めてで、とてもわくわくしてしまった。素敵な部屋を作るぞーと、学生時代からの家具や小物を断捨離しまくって、1年近くかけてきれいな部屋に合う雰囲気のものに総取っ替えした。
掃除をしていても、ここの住人は歴代で私だけだから、人の後片付けは少し嫌だと思う気持ちも湧かずに抵抗なく掃除ができる。

夜中のコンビニもスーパーも、多少治安がいいとは言えない街でも、近すぎて抵抗なく行ける。ひと駅先の繁華街には、定期でも徒歩でも行ける。行動範囲がぐんと広がった。
そうこうしているうちに、転職先の会社でも「友達」と呼べるような仲のいい同僚ができた。プライベートでも遊ぶようになったときに、やっぱりターミナル駅直通のこの街は行くのも帰るのも楽だった。
学生時代の友人たちも、異動や院の卒業に伴って近くにやって来てよく会うようになった。2年ほど経った頃、そのうちのひとりとは付き合うようになった。



くたくたな平日の夜も、自分ひとりで過ごす週末も、友人や恋人と過ごす週末も楽しいと思えるようになった。
それはたぶん、全部この部屋とこの街に住むようになってからだ。一人暮らしを始めて約10年、やっと私は住みたいと思える場所に暮らしていた。
そう思っていたところへの、突然の転勤の打診だった。


最初に頭に浮かんだのは、同僚や友人や恋人のことではなく、会社帰りに最寄駅から出た時の景色だった。
地元にはもちろん昔住んでいた街にもなかった、片道3車線か4車線の大通りと、その両側に灯るマンションの明かりや夜のお店のネオン。手前の駅まで真っ直ぐに延びるその景色が好きだった。
それから家の近くの大きなスクランブル交差点。半径3キロずつくらいまで全範囲に開拓した散歩ルート。最近開拓した、最寄よりもちょっと品揃えが豊富なスーパーマーケット。

もちろん同僚や友人や恋人のことも過ぎったけれど、誰に会うときも私はこの街のこの駅から発っていたから、どうしてもこの景色がセットだったのだ。
これら全部を置いていくんだ。失くすんだ。地元みたいに、懐かしくなったら帰ってくることもできないんだ。
そう思ったら居た堪れなくなって、前職を辞める時ぶりに社内で泣いてしまった。


もちろんその夜は泣いた。社内の秩序を考えると同僚にはまだ言えなかったから、恋人に話をして泣いた。
私は時々泣きすぎて話せなくなっていたけれど、電話の向こうでは時折彼も言葉を失くして黙っていて、漏れる音でこの人も泣いてくれているんだと思った。互いにずっと泣いていた。
この街とこの街にまつわる思い出から離れたくない私と、恋人が遠くへ行ってしまうことを惜しんでいる彼とは、涙の理由がどこか違うことは分かっていたけれど、それでも少しだけ救われた。



それから数日間はぼんやりしていた。
「あと数ヶ月でこの風景ともお別れなんだ」そう思いながら、朝起きた時に部屋をじっと見た。朝の通勤ルートを眺め、通勤する電車の車内も眺め、帰り道は夜の通勤ルートも眺めた。
会社でもオフィスと同僚や後輩や上司を眺めた。「もうこの人たちにも会えなくなるんだな」と思った。

居たいと思っている場所なのに、これからもここでこの景色を見ていたいと思うのに、遠くない未来に確実に、自分はここに居られなくなる。
そして私がいなくなっても、この街もこのオフィスも何も変わらずに回っていく。

そう思った時に少しだけ、全然重みが違うよと怒られてしまいそうだけれど、「余命宣告を受けたら、こんな気持ちになるのだろうか」と思った。
その先に人生が続くかどうかの違いはあるけれど、転勤してからの未来が全く思い描けなかった私には、実質一度死んで生まれ変わるようなものだとさえ思った。
100日後に死ぬわけじゃないけど、50日後くらいにこの街から去る私。現実味がなくてぼんやりしていた。



そこまで思い詰めていたけど、転勤の話はわりとあっけなくなくなった。
いよいよ辞令が公示されるという前日、もう一度上司に会議室に呼び出され「やっぱりこのご時世だし、現地の転居しなくてもいい人材で人手不足を賄うことになったよ」「でも転勤がなくなる代わりとは言わないけど、今のオフィス内で部署異動はしてもらうよ」と伝えられた。
通常なら部署移動もめったにないことではあるのだけど、その時の私は「そんなもんでいいんだ」と拍子抜けしてしまった。


そういうわけで、秋からは仕事内容が変わる。異動先でも、半年先や1年先に転勤を言い渡される可能性はこれからもゼロじゃない。
有能な人間は「どこでもやって行ける」と動かされがちだけれど、私は「この人がここからいなくなったら困る」と思ってもらえる人間になりたい。

社会人なら「どこででも自分の力を発揮して頑張ります」と言うべきなんだろう。置かれた場所で咲くべきなんだろう。
でも私は「自分の居たい場所を自分で選んで決められる」のも大人だと思う。サボテンは水中に咲かなくていいし、シロクマはハワイで暮らさなくてもいいというやつだ。

私はまだここに居たいから、離れなくていいと、そう決まって嬉しい。
永遠ではないだろうけれどそれでも、ここにいたいと今は願っているから、明日も明後日も来月も、この部屋で「おはよう」と「おやすみ」を言う。

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水無月
何かを感じていただけたなら嬉しいです。おいしいコーヒーをいただきながら、また張り切って記事を書くなどしたいです。