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ヒロインはn億光年遠くても、番外編を語らせてくれ

人生の中で少女だった季節がある人なら特に、たぶんひとつくらいは好きだった少女漫画があると思う。

憧れてやまなかったシチュエーションも、自分に重ねていた恋のストーリーも、ひとつくらいはあると思う。



思春期だった私が好きで、いつも自分に重ねていたのは、「恋愛に興味のない女の子」がヒロインのストーリーたちだった。

「周りの女の子たちには好きな人がいて、キラキラした恋をしていて、何なら恋人がいる子たちもいる。なのに、自分はそんな感覚がわからない」ーー。

そんな設定のヒロインたちは、恋愛感情というものがよくわからなかった私と同じで。いつもいつも、「今度こそは私とまったく同じような子が出てくるかもしれない」と思っていた。




私が知りたかったのは、ヒロインたちの口にするいわゆる「恋とはどんなものかしら」であり、「いつかあたしも恋とかする・できるのかなぁ」「あたしはこのままずっと恋なんてできないままなのかなぁ」だった。
恋ができないままでも、青春というストーリーは送れるかな。そうずっと不安だった。


でも(恋愛ストーリーだし少女漫画だから当然なのだけど)、結局彼女たちヒロインは、皆すべからく恋をする。例外は、なかった。



『男勝りでショートカット、乱暴な言葉遣いでスカートが苦手』な子も、男の子に「君だってかわいい女の子だよ、ほら、こんなところがとてもかわいい」と言われればときめいてしまって恋する乙女モードに切り替わる。
そもそも「アタシなんて女の子らしくない」と気にしている時点でとても女の子らしいと思うし、かわいい。

『マイペースで、人と関わるより本の世界が好き』みたいな子もそうだ。同じ本が好きな男の子だったり、好きなものに夢中な姿がステキだよなんて言ってくれる男の子だったりの、その包容力に気づけば包囲されている。
「好きなものより好きな人がいなかった」だけだから、「好きなものごと肯定して好きになってくれる」人なんているならそりゃ強い。

『過去に恋愛で傷ついて、もう恋なんてしないと決めた』子などは、そもそも既に恋愛をした実績がある時点で恋愛市場には出ているのだ。あとは過去の傷ごと包み込み受け入れてくれる相手か、過去のこじれた糸を解きほぐせば復帰率は高い。





結論、恋をすればその人は自分の恋物語のヒロインになれるし、少女漫画のヒロインというのは恋をするものだった。

だいいち、ある時にどこかで見聞きしたけれど「そもそも恋をしない・できない人間を主人公にしても、結局恋愛としてはストーリーが成立しない」ので、そんな漫画は基本的に出てこない。


たとえばそんな設定がある主人公が恋をしてしまったら、設定が台無しのご都合主義になってしまう。
かと言って、恋をしないままだと何も始まらないから何も終わらない。でもそれで誰かに問題が起きるわけじゃないなら、物語の起承転結も何もあったもんじゃない。

「恋をしない・できない人に恋をしている」側は困るかもしれないし、その奮闘は物語にできるかもしれない。けれど、そうなると結局主人公が入れ替わってしまう。


そして、主人公が「恋をしない・できない人に恋をしている」側に入れ替わったところで、結ばれてしまえば、その相手は結局「恋をしない・できない」人じゃなくて「これまで恋をできなかった人」になってしまう。

それならと現実的に「努力してアプローチをして、それでも設定通り相手には恋愛感情が芽生えないから結ばれなかった」ストーリーにして、相手役に「自分は恋ができないみたい、ごめんね」と言わせるんじゃ、恋をしている側には納得も理解もできない。だってその人は恋をできるんだもんね。うん、頭ではわかる。


それでも私が読みたかったのは「まだ本気で好きになれる人に出会ってなかっただけなんだ」なんて、運命の王子様に出会えましたオチじゃなかった。
知りたくて見たかった世界は「ものすごく仲が良くて、人として好ましくて一緒にいると楽しくて、それでもドキドキしないし嫉妬もしない」ってことがあり得るのかどうかだった。

あり得るって誰かに示してほしくて、そんな対人関係を築いている人のモノローグが読みたかった。
結局少女漫画に答えはなくて、中学生になって出会った、江國香織さんの『きらきらひかる』はかなり私の覗きたかった世界の理想に近かった気がする。



だから、まぁ、「恋愛感情がわからない」私のモデルケースになるような漫画は、いくら待っていてもきっと一生出てこない。

そう学んだ私は、せめて自分が恋をできないとしても、恋をしている人に迷惑はかけず、傷つけないようにしようと思った。

みんな「私は恋をできません」なんて知ったこっちゃないから、男の子と仲良くしていれば「あの子はあいつに気があるのかな」と思われる可能性はある。
私が友達だと思っていても、もしかしたら男の子側からは「この子は脈があるんじゃないか」と思われているかもしれない。

そんないざこざを避けるための立ち振る舞いなんて、少女漫画からは具体的には学べなかったけれど、理想のポジションは見つけた。
ヒロインなんて高望みはしない。その友達ポジションだったり、番外編の主人公視点になるクラスメイトだったりに、私はなるんだ。



ヒロインの身近にいるんだから、恋だとか青春だとかは十分に味わえる。ヒロインの味方だから評価も高い。だけど決して出しゃばらない。そういう者に、私もなりたい。
なんて思って、恋する友人たちの話を聞くとか応援するだとかに徹した。

応援すると言っても、決して「あの子が好きだって言ってんだけど」と告白代行をするだの、「あの子を振るなんてサイテー」だのと相手をなじるだのはしない。それは番外編のキャラや脇役の範疇を出ている。出しゃばっている。身の程や立ち位置は、誰よりも慎重にわきまえていた。




そうやって、恋ができないながらに、青春のフレーバーというかエッセンスというかはまぁまぁ摂取できていたと思う。

「恋ができないままでも、青春というストーリーは送れるのだろうか」という質問には「わりとできるよ」って言える青春だったはずだ。



「恋とはどんなものかしら」については、誰かと付き合った経験を持った今も、うまくは答えられない。私がこれまで味わったものが、みんなが振り回されていた「恋愛感情」と同じかは、いまだに自信がない。

強いて言うなら「この人の隣で、うとうとまどろんだり、まどろんだりされているのが幸せ」と感じられたことが私なりの好きという気持ちかなぁ。
一緒に何かをするというより、眠るという何もしていない状態でも一緒にいたいと思える気持ち。それは恋愛感情に含まれるかはわからないけど、しっかり「好き」でいいんじゃないかって、私なりに思うことにした。それに、きっと、恋ではなくても「愛」ではあるんじゃないだろうか。



「いつかあたしも恋とかする・できるのかなぁ」「あたしはこのままずっと恋なんてできないままなのかなぁ」といういうかのひとりごとには、「私も恋をしたよ」って大声で言う自信はないけど、「恋を味わうことはできたよ」と言えると思う。

私が向けてもらったような、独占欲とか嫉妬とかそういう気持ちを、私が持てたことはない。
ライバルを蹴落としてでもこの人を手に入れたいし離したくないとかも思わない。「こんなにふわっとした気持ちしか持てない私よりは、奪ってでもあなたが欲しいと言ってくれる人と結ばれるのが幸せじゃないかなぁ」とは今も思っている。


だけど、恋をしてもらって、恋を教えてもらって、私なりの愛情は精いっぱい返した。してもらって嬉しかったことを返したいとは強く思った。

好きがわからなくて何をしても許されるのかわからなくて、どうしても受け身になってしまいがちで。
だけど会えないときに残念だねと言葉にしたり、話をしたいと思ったときに自分から電話をかけたり、なんとなく心細いときに抱きついたり、そういうことをしてもいいんだと少しずつ思えるようになった。少しずつやってみている。

独占欲があるかと言われたらそこまでではないけど、でも特別で居させてほしいとは願っている。会えたら嬉しい。話すと楽しい。触れると落ち着く。





あの頃少女漫画の読者だった私が、知りたかったストーリーがこれかはわからない。
誰かに漫画にしてもらってあの頃の私に読ませたとして、共感したり納得したりされるかはわからない。ご都合主義だと言いそうな気はする。


でも、玉虫色の答えかもしれないけど。
恋愛感情だと言い切る根拠や自信はなくても、好きだと言ってくれた人の手を、触れられるし取れると思ったならそれはきっかけにしていいと思った。


たぶんその手は入場権だ。
ヒロインにはなれないかもしれないけど、別にヒロインでなくてもいいし、恋物語じゃなくてもいい。

タイトルやジャンル分けなんて後付けでもいいから、誰かと大切にし合う世界を覗いてみるきっかけくらいは、恋物語のヒロインじゃなくたって手に取ってみていいんだ。

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水無月
何かを感じていただけたなら嬉しいです。おいしいコーヒーをいただきながら、また張り切って記事を書くなどしたいです。