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私の人生を変えたのは病気をしたこと
noteを書き始めて2ヶ月が経ちました。
改めて自己紹介を読み返すと、結構カッコつけてるなーと思っちゃいました(笑)
まあ、確かに書いてあることは事実なんですけど。
そうなったのは、自分自身の人生を180度変える出来事が次々と襲ってきたからです。
この次々と、というのが結構ミソ。
2007年、乳がんの診断を下されました。
それまでも決して順風満帆というわけではありませんが、好きなことにチャレンジしたり、恋をしたりと普通に都会暮らし(東京生まれの東京育ちです)を送っていたと思います。
この診断が下された時は、後頭部を思いっきり殴られ意識を失うほどの衝撃だったのは言うまでもありません。
今では乳がんの啓蒙活動も盛んになり、「早期発見→治療→完治」という方も多くなってきましたが、当時はまだまだそこまでに至らない場合が多く、「ガン=死」というイメージが拭えませんでした。
しかも私のステージは、そんなに良いものではなく「無再発五年生存率が50%」という分類の中にスポッと入ってしまったのです。
そして最初の手術でガン全てを取りきれず(先生には反対されたけど、温存手術を望んだから)、抗がん剤の後に再手術という事態になってしまいました。
今でこそ有名人が自分の病気をカミングアウトする時代ですが、当時はまだ隠すことが当たり前の時代。
寄り添ってくれた友人から勧められたのがBlogを書くことでした。
今の私を正直に伝えていくことをテーマに書き始めたのです。そのブログの一番最初に書いた記事がこちら。
今から思うと、書くことによって自分を客観的にも見れるようになったし、周囲の人からの反応をもらえることによって、一人じゃない!と、どんどん元気になっていったと思います。
ただ残念なことに病気は私を許してくれず、残ったガンを取るべき再手術がやってきました。
この二つの大きな手術経験が私の中に強烈に残り、
生きていること、そして動けることの愛おしさを生み出していったのです。
なんと言っても手術を受ける前には動けていた身体が、全身麻酔から目を覚ましたとたんに、痛みとの闘いと共に動くことができないわけです。
看護師さんから、「さぁ自分で着替えてレントゲンを撮りにいきましょう」と促されたのはいいですが、そーっと足を床に降ろしたとたんに、あり得ないほどの激痛が遅い、血の気を失い再びベッドに倒れ込んでしまったほどです。
情けないですが、結局歩くことができずに車いすでレントゲンを取りに連れて行ってもらいました。
そう。
立つことすらできないもどかしさというか悔しさを経験したのです。
しかし人間とは凄いものです。
立つことが精一杯だったのに、それをクリアしたら、足が前に出て歩けるようになります。一歩が二歩になり、翌日には100m歩けるようになり。
子供の頃、大好きだったアニメ「アルプスの少女ハイジ」のクララを思い出して、涙が出てきました。
その後も治療とリハビリを重ねる中で、薄皮を剥ぐように少しずつ日常を取り戻していきました。
とはいえ、以前の自分には決して戻れません。いろんなものを受け入れながら、生き方の模索をしている中で、いつの間にか今の私が形成されてきたと思います。
歩く、登る、滑る!
この三拍子が私なんですよね。
もうスキーはできないかもと諦めていた私。
再手術後そして治療が続く中で、痛む身体を抱えながら、雪の上に立ち滑った時のことを書いたブログがこちらです。
次から次へと…
と、書きながらまだ次を書いたぐらい(笑)
その後も大きな出来事が私を襲ってきました。これはまた書きまーす。