わたしと演劇:養成所東京編
さて。3年近く勤めた歯医者を退職し、観劇しながらも貯め続けた250万とともに上京した。
最初に住んだ街は東京郊外にある、桜の綺麗な街だ。街並みも古さと新しさが混じっていて、お散歩が楽しかった。ここを選んだのは、なんとなく地元に似た空気と、コメダ珈琲店があったからだ。
とても親切で、わたしをとても応援してくれる不動産やさんと運命的に出会い、家賃や部屋などを優遇していただいた。その方は今も懇意にしてくださっていて、本当に恵まれたと思うし、彼から借りる以外は考えられないほど本当に現代としては珍しいくらい良い人だ。いつか必ず恩返しをしたいと思っている人だ。
最寄りから一駅のところにある、東京郊外の日ナレは、わりかしのんびりとしているらしかった。もちろん、代々木本校に行こうかとも考えたが、交通費や移動時間も勿体ないし、名古屋校のスタッフさんがたにも相談したところ、レッスンそのものが変わるものではないということだったので、総合的に代々木である必要もないのかと、『そこ』にした。
名古屋校は圧倒的に女性が多かったのだが、わたしのクラスは女性が5人、男性が20人ほどの変則的なクラスだった。
東京での記憶はいいものはごくわずかだった。
名古屋で良いとされた芝居は、誰も見向きもしなかった。むしろ『下手』なくらい。
しかし、周りが圧倒的かといえばそうは思えなかったし、名古屋の子らの方がキラキラしているように見えた。
やはり見て学ばねばと、憧れの下北沢で観劇もした。確かに面白く、巧みだ。なんだか、今までと違う気がしたけれど、でも面白いし、モチベは上がったし。その劇団のワークショップにも参加した。周りの反応は良かったし、勉強になったし楽しかった。
おかしいなあ。なんでかな。
東京で幾つか観劇したけれど、はじめに見た公演以外の内容、タイトルはどれも覚えていない。友人が出たものはなんとなく覚えているけれど、『面白くて覚えてる』じゃなくて『あの子が出ていたから覚えている』。
いつの間にか、観劇は減った。名古屋で公演があると、わざわざ帰って観るのに、ほんの1時間の距離の劇場に行こうとは思わなかった。
レッスンは進む。
『お前、顔は可愛いのになあ。』
その一言は決して忘れない。よく活躍されている方だったけれど、どんな意味で言ったかはわからないけれど。わたしが業界ってこんな人ばかりなのかしらと思ったことを、否定できる人はどのくらいいるだろうか。
舞台のレッスンは、そう悪くなかった気がしたけれど、やはりなんだか違うのだ。心のそこから楽しくないのだ。
違うよ違うよ、そのセリフはもっともっと苦しいでしょう?違うの、もっともっと人間でしょう?『キャラクター』なんて言い方じゃあ、報われないよ。
もっともっと、『好き』とか『苦しい』が詰まるのが、芝居じゃないの?
アニメとかリアルな演技とか、関係なくない?
わたしが浅いんだろうか。
この答えは最近分かった。一つの誤解があったのだ。
『声優』と『俳優』は【同じ】というところだ。声優志望さんは聞いたことがあるかと思う。これは、実際とは少し違う。
『俳優』という業種(業界)に、『声優』という職種があるのだ。
詳しくは、後のnote.に書いていくからここではこのくらいにしておくが、このことに気づけたのは、日ナレをやめて1年後に受けた声優事務所のワークショップのおかげだ。
日ナレで過ごした4年間は決して無駄じゃなかった。自分で考えて考えて、動いて、失敗して、成功して、失敗して、傷ついて、泣いたから。
東京での内部オーディションでは、1次も通らなかった。
本気で死のうと思った。
もちろん、死ねなかったけれど。
それから、東京の日ナレがきっかけで、わたしはとある演技集団の制作と代表を務め、公演をし、裏切られクビとなり、支払いだけをさせられていく1年を過ごすことになる。これは今年の3月までの出来事だ。
少しづつ書いていくから、たくさんの人に知ってもらいたい。
世のなかには『好きなことをやっているんだから』という剣を突きつけ、人を貶める『芸術家』がいることを。人の好意や団体のための仕事を『自分から、勝手にやったんだ』として相当するお礼の言葉や支払いをしない人がいることを。
わたしは今、これを書きながら、過去を見てきた。泣いてばかりだった。
しかしこうして文字にしていると、気持ちが整理されている気がしている。わたしは綴りながら、前を向いていくのかもしれない。
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