だれもがポオを愛していた
本日の読書会覚書。
今月は課題書以外ミステリに手を出していなくて、しかも昨日夕方から課題書を読み始めるわやわやさ…。
もっと、こう、気を引き締めたいと思います。
つい、文字書いたり絵を描いたりするとそっちに比重が掛かりぱなしになってしまうので。
読み始めると乗るんですけれども。
そんな感じで一読しかしてなかったけれど臨んだ読書会でした。
ざっくり感想。
「きみはもう少し人間たちに関心を向けるべきだと思わないかい?人間関係、動機、陰謀、そんなものにさ」と言われた探偵役が
「デュパンは『モルグ街の殺人』でそんなことしなかったわ」って返す。
ココのやりとり、心拍上がるほど好き。
タイトルからの通り、ここで求められているのはホワイダニットではなく、ポオであること。
一貫してポオに捧げられ進む物語という宣言文みたいな返しにギュッと来る。
何故そうしたかではなく、実際の振る舞い、物証から立ち上がる可能性の範囲から理屈で詰めて浮き上がらせた現実を受け入れるというアプローチは、成程モルグ。
被害者がポオに心酔していたこと、それを厭うていた妹さえもその呪縛からは逃れられずに守りたい人を護る為に『ユーラルーム』と口にする。
実行犯は意図がなかったにもかかわらずポオの作品をなぞり、そして真実の糸口はポオの作品の中に。
『ユーラルーム』を最初私も物証と考えアナグラムの可能性を考えたけれど、確かに文中で探偵役が目を見開いたように、それは“詩“として読まねばならず、どこまでもポオの作品を味合わされながら引き摺り回す作品でした。
そういう意味で『だれもがポオを愛していた』というタイトルの解釈をして良いのだろうと思いながら読むエピローグ。
そこで信じられないものを目にして私はのたうつ羽目にwww
エピローグに作中作として乗せられた某教授の『アッシャー家の崩壊』に関するエッセイ。
十数ページにしか満たないエッセイ。
物語は全体で400ページ近くなんですが、その40分の1にもならないこのエッセイの濃密さよ。
そのアッシャー家に関する考察の深さに密度に、この論考を世に出すために逆算して『だれもがポオを愛していた』というミステリが書かれたのではと、私は勇み過ぎかと思いながらも確信していたりします。
むしろ、そうであって欲しいくらいの力強さを持った論考。
凄すぎた…!
そして、ここまで読んだ上で『だれもがポオを愛していた』というタイトルに至るべきだと。
だれよりも愛していたのは、翻弄された登場人物以上に、作者だったんだなぁと。
作者さんの他の作品は寡聞にして未読なのですが、勝手にそう思って胸打たれました。
そしてそして、何よりもう!って思ったのが、先月の課題書が『ポー作品集』だったのですが、その後今月『だれもがポオを愛していた』を選書なさる先輩方の用意周到さがもうすごい。
本当に、選書お任せしてひたすら先輩方のおすすめで引き摺り回して欲しすぎます。
良き先達は、です、うん。