【小説】人を感動させる薬(10)
(前回)人を感動させる薬(9)
ジェイ編集がエル氏に『人を感動させる薬』のことを打ち明けた翌日のこと、改めてジェイ編集はエル氏のアパートを訪れた。
昨日はさすがに言い過ぎたな、と思い菓子折りを携えて。
エル氏の部屋のドアの前に来たジェイ編集はアパートのインターホンを押したが、誰も出てくる様子はない。
ただ、ドアに鍵はかかっていないようだった。
「エル先生、昨日は失礼なことを言ってすみませんでした。
勝手に上がりますよ。」
といってドアを開け、中に入った。
部屋の中は電気がついていなくて真っ暗だったが、奥の部屋のパソコンのディスプレイだけは煌々と光り、その前で食い入るようにFPSゲームに興じるエル氏の姿があった。
部屋は散らかっていて昨日のままだった。
どうやら昨晩から食事をしている様子もない。
「エル先生、ちゃんと食べてますか?」
返答はなく、エル氏はパソコンの画面に食らいついたままで振り向きもしなかった。
しかし、エル氏の操作するキャラクターが他のプレイヤーに倒されると、力なくコントローラーを手放して床に落としたのに続いて、ゴン、と頭を机に突っ伏すとそのまま独り言のようにぶつぶつとつぶやき始めた。
「ああ、僕にはやっぱり才能なんてなかったんだ。
世の中の連中が僕の作品を理解していなかったわけじゃないんだ。
僕にはもともと才能なんてなかったんだ。
もう、何をやってもダメなんだ。
ヒットしたのは結局全部薬のおかげだったんだ。
別に僕の小説じゃなくてもよかったんだ。
僕は特別なんかじゃなかったんだ。
ジェイさん、あんただって小説が売れて得意になってる僕をみて内心バカにしてたんだろう。
ああ、僕は自分が情けないよ、恥ずかしいよ。
僕はもうダメだ、ダメだ、ダメだ・・・。」
ジェイ編集は改めて次回作の相談をエル氏としたくて来たはずだったのだが、エル氏の落ち込みようは激しく、とてもそんなことができる様子ではなかった。
「昨日は申し訳ありません。
私も言い過ぎました。
エル先生、この通り謝りますので元気を出してくださいよ。」
しかしエル氏は相変わらず「ダメだ、ダメだ、ダメだ・・・」と机に突っ伏したまま繰り返すばかりで、話にならなかった。
「とりあえず、お詫びの菓子折りをこちらに置いておきます。
あと、弁当屋で何か買ってきますので、今夜はちゃんと食べて下さいよ。」
ジェイ編集は一度部屋を出て近くの弁当屋でから揚げ弁当を買ってくると、エル氏のアパートにそれを置いて今日はいったん引き揚げることにした。
次の日もその次の日もエル氏の様子は相変わらずだった。
ジェイ編集が持ってくる食事は食べているようで、飢えている様子はなかったが、出かけることもなければ風呂にも入っていないようで、その姿はひどいありさまだった。
仕方がないので、ジェイ編集は罪滅ぼしも兼ねてエル氏の部屋を整理したり、ゴミをまとめて出してやったりした。
編集者というよりもまるで家政婦のようだった。
(つづく)
次回 人を感動させる薬(11)