【小説】人を感動させる薬(6)


(前回)人を感動させる薬(5)

ジェイ編集が忙しい日々を過ごすうち、世間はいつのまにか年の瀬を迎えていた。

ジェイ編集の出版社では年末になると、ホテルのホールにて作家を含めた出版社の関係者を集めての忘年会が催される。

皆がグラスを手に乾杯したあとは、今年活躍した作家らが壇上でスピーチすることになっており、エル氏も初めて今年活躍した作家の一人としてスピーチした。

エル氏のスピーチ原稿を事前にジェイ編集が確認した時、エル氏の自信過剰な性格から予想された通りかなり尊大な内容になっており、さすがにジェイ編集は、これはまずいと思った。

エンターテイメント小説大賞でデビューしたくせにエンターテイメント小説をこき下ろすような内容で、これは他の作家に失礼だとジェイ編集が怒ると、さすがのエル氏も普段めったに怒らないジェイ編集の剣幕に驚き、しぶしぶスピーチの内容を謙虚なものに修正した。

おかげでエル氏のスピーチは特に会場に波風を立てることもなく、ジェイ編集はホッと胸をなでおろした。

エル氏の後にはエイチ氏もスピーチをした。

昨年もヒットを飛ばしてスピーチを求められていただけに、二年連続ともなると堂に入ったもので、エル氏と同年代の若手作家ながら出版社の看板作家の一人としての貫禄が身についてきたような気がする。

エイチ氏はスピーチを終えると、エル氏とジェイ編集の下にやってきた。

エイチ氏はちょっと酔っぱらっているらしく、赤ら顔でエル氏に話しかけてきた。

「エル先生、今年は大ヒットおめでとう。

あなたとは年も近いし、同時期にデビューした同僚みたいなもんだから僕もうれしいよ。

ただ、今回ヒットした先生の作品の感想を言わせてくれ。

たしかに世間のみんなの言う通り、小説を読んで感動したし、映画も観に行って感動したんだ。

でも不思議なことに本を閉じるとさっきまでの感動が嘘のように引いていくし、映画館でも観ているときはあんなに感動したのに、一歩外に出るといったい何に感動していたのかがわからないくらいなんともなくなって、狐につままれたような気分になるんだよ。

普通は何かしらに感動した時は、あとから感動した場面を思い出すと余韻があったりするんだけど、それも全くない。

僕は自分が感動した作品については、必ずストーリーをプロットに書きなおして分析してみることにしているんだけど、正直つまらなかった二作目の先生の作品と話の作り方が何も違わないし、考えれば考えるほどいったい何に感動したのかわからなくなってくるんだ。

感動する作品のセオリーにも一切当てはまらないし、普通なら絶対感動しない、むしろつまらない作品のはずなのに、それで実際感動しているんだから信じられないことだった。

でも、それだけに、先生の作品から受けた感動が偽物の感動な気がしてならないんだ。

はっきり言わせてもらう。

どんな魔法を使ったのか知らないけど、僕はこの作品を認めたくない。

いつか化けの皮が剥がれなければいいね。」


「ふん、負け惜しみなんてエイチ先生らしくない。

それは単に僕の小説が世の中の人に真実の感動を与えているというだけの話じゃないですかね。

エイチ先生の書く小説はいつも感動する話の作り方のルールの枠を超えないご都合主義のハッピーエンド作品ばかりで、そんな読者に媚びた嘘っぱちの感動作品こそ、そのうち化けの皮が剥がれてしまうんじゃないですか。」

エル氏は売り言葉に買い言葉で得意げにエイチ氏に言い返したが、その後ろにいるジェイ編集はすべてを見透かされているような気がして冷汗が止まらなかった。

やはり、『人を感動させる薬』による感動が所詮偽物の感動に過ぎないことは、冷静に分析できる人にはちゃんとわかるようだ。

別れ際にエイチ氏はこう言った。

「まあ、次回作も期待していますよ。

でも僕はむしろ先生のデビュー作の方が好きだな。

あの物語は文句なしで感動しましたし、僕じゃなくて先生の作品が大賞をとっていてもおかしくなかったと思いましたよ。

僕は、ああいう路線の方が、先生には向いていると思うんですけどね・・・。」

デビュー作のことを、急にエイチ氏に褒められたのがよほど予想外だったのか、エル氏は一瞬戸惑った顔をした。

でも、次の瞬間には「ふん!」と踵を返すと一人でビュッフェの料理を取りに行ってしまった。

(つづく)

次回 人を感動させる薬(7)

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