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理想のキッチン探し㊱歴史編・住宅供給政策の戦後史

遠い理想のキッチン

 去年から、理想のキッチン探しを含めて物件見学をしていることは、このシリーズを読んでくださっている皆さんはご存じだと思います。一時は、中古マンションを買おうかとも思いましたが、手が届きそうな物件は、交通の便が悪いことや、もし買ったら貯金を掃き出さなければならなくなる不安が大きくなり、中断しました。そこへロシアーウクライナ戦争が起こり、コロナと相まって世界中の金融が不安定になって、まだ確定ではないようですが、スタグフレーションへの道を歩み出してしまいました。しかも極端な円安。住宅価格も資材の価格も高騰、とはるか遠くに持ち家は去ってしまったような気がします。
 街を歩けば、良質な住宅街があり、広い庭を持つ一戸建ても、狭いながらも持ち家の三階建て住宅も、いろいろあります。かっこいい建築家の建てた家もメーカー住宅も。それぞれにかっこいいとか、ダサいとか勝手に批評したりするのですが、それにしても東京で都心へのアクセスがいいところに家を持つだけですごいことです。いったい何をすればこんな家が手に入るのだろう、と思わされる点では、どの家も同じです。もちろん、分譲マンションもそうです。ましてや大家さんになるなんて!
 わかっています。家や部屋を持つ人たちは、サラリーマンもしくは経営者、何代も住み継いできた地主で、たまたま東京に生まれただけですよ、なんて人もいる。私たちのように、もともと高くないギャラが、デフレ時代にさらに低くなった、といった仕事をちまちまとやっている人間には、遠い世界です。
 その遠さと、賃貸を脱出したくならせるのは、政策のせいだとはっきり書いているのが、この2冊を書いた平山洋介さんです。全編にわたって怒りに満ちた言葉で、ぜひ国会に呼ばれて実情を語り、政策委員会の類に入って弁舌を振るっていただきたい。そして住宅改良運動でもしていただきたい。私としては、令和の台所改善運動の助っ人としてこれらの本を使わせていただくぐらいです。

昭和戦後の住宅政策

 戦前の都会は賃貸住宅が基本でした。ところが、戦後になると賃貸より持ち家が主流になっていきます。それは、借主の権利が大きくなって、貸主のうまみが減ったことや、国が住宅補助に力を入れていったことなどがあります。所得が増えた高度経済成長期もあって、家を持つことができた人は多かった。この時代に働き盛りだったシニア層は、8割以上が持ち家に住んでいます。
 大企業にみんながこぞって入りたいと願い、学歴競争が激しくなったのは、大企業が所得が高くブランド力があるだけでなく、さまざまな社会保障が充実していたからです。私はジェンダーについても研究していますし、女性の働き方や暮らしについてはくり返し書いていますので、健康保険や厚生年金が大企業のほうが手厚いこと、サラリーマンの妻たちが主婦になると夫の控除が大きくなるし、1985年以降は自分で年金すら払わないのに将来もらえるという優遇策を政府が取ってきたことはよく知っています。
 サラリーマンは、高い下駄を履かされているのです。しかし、サラリーマンの高下駄は私が思っているより、さらに高かった。特に大企業のサラリーマン。彼らは、若い時は会社の寮に入り、結婚すれば社宅に入る。社宅に入らない場合は、家賃補助がある。そして給料からは住宅財形貯蓄の天引きがある。どれも会社のお金が使われるので、本人が住宅に対して払うお金は少なくて済む。企業の規模が大きいほど、会社の補助は大きい。
 私は大学を出てから5年間、広告制作会社に勤めました。社員は百数十人だったので、いわゆる中小企業です。住宅財形貯蓄はしていました。それはフリーになって解約したときに、私の貯金の重要な一角を占めるようになりました。社宅はありません。4年目に阪神淡路大震災に遭ったことをきっかけに実家を出たので、1年間だけ一人暮らしで家賃補助を受けていました。1万円か1万5千円かだったと思います。でも、そのあとはフリーなので、何の補助もありません。
 夫も正社員時代は5年しかないので、やはり何の補助も受けていません。私たちは、自力で住宅へのお金を払い続けなければなりません。
 戦後、日本住宅公団ができ、全国各地に団地を作ったことはよく知られています。戦争によって都会は焼け野原になってしまったので、住宅再建は急務でした。国は、公営住宅や住宅金融公庫などを使って、国民の住まいを支えました。公団住宅はその中でも高級で、エリート層を中心に住んでいたそうです。家賃が高くて手が出ない庶民はいっぱいいたのです。
 平山さんは、こうした公的な住宅がやがてその性格を変えていったと書いています。

新自由主義時代の住宅

 2000年代初頭、わが家にはずいぶんたくさんの、不動産屋からの電話がありました。「家を買いませんか。今なら安くローンを組めます」という内容。そうした勧誘が増えたのは、当時社宅を手放す企業がたくさんあったからです。デフレ時代になり、企業は社員への補償を減らす中に、社宅をなくすことがありました。高度経済成長期に建てたのだとすれば、社宅は建ってから30~40年経った頃。私の友人が90年代に住んでいた社宅も、いかにも昔の団地っぽい、階段しかない古い建物でした。取り壊しても減価償却できる時期が2000年代初頭だったと言えます。それでどんどん取り壊して土地を売り、買ったデベロッパーがマンションを建てた。しかも、低金利時代で住宅ローンは安い。
 でも、平山さんは指摘します。昭和期に家を買った人たちは、高いローンを払っても、経済が右肩上がりだったので含み益が出た。ところが、平成期に家を買った人たちは、ローンは安くても、経済がデフレなので含み損が出る。最近は、新築マンションは買った直後に2割の価値が減ることが知られてきていますが、広告代などで使われるのでいきなり損をするんですよね。家を買ってすぐ離婚して手放すカップルの損はとても大きいと思われます。
家を買うために生き方を問われるし、話し合いも増えるし、負担も大きくなるので、価値観の違いがあらわになって別れることは、十分あり得ることです。新築ではありませんが、私が大船で見たマンションも、まだお子さんが小さいのにマンションを買ってすぐ離婚したカップルの物件がありました。
 そして、平成時代のサラリーマンは給料も伸び悩むので、ローンの支払いは家計の重圧になり、切り詰めなければ生活ができなくなる場合が多い。政府は、家を買う人が増えればその分経済が回る、と住宅ローン減税政策をくり返し打ちましたが、それは逆効果でしかなかった、と平山さんは指摘します。無理して家を買わせれば、生活が厳しくなるから、彼らは消費しなくなったからです。
 そして、新自由主義になった社会では、ローンを組む基準をどんどん低くし、頭金なしでもローンを組めるようにしました。私にかかってきた電話も、そういうローンを勧められたのを覚えています。頭金がゼロや少額だと、残りのローンの負担が大きくなります。ローンは長くなればなるほど金融機関に入るお金は大きくなりますが、それは同時に、組んだ人の負担が大きくなることです。私は金融にそれほど明るくないのですが、頭金なし、35年ローンの場合、実際に払う金額は販売価格の何倍になるのでしょうか
 そうして、会社の業績が悪くなって給料が減ったり子どもが増えたり、最悪の場合はリストラされたりして、ローンを払えなくなれば、家を手放さなければならなくなります。特に『マイホームの彼方に』にくわしく書いてあります。
 それでも、子育て家族は政府が積極的に支援しています。問題は子どもがいない人やシングルで、平山さんの本は、政府の政策がいかに子育てサラリーマン家族に偏って支援してきたかを明らかにします。
 デフレ時代で非正規の人が女性は半数以上、男性でも4分の1ぐらいいるような時代に、若者はこぞって結婚して子どもを持つわけではありません。住宅を通じた経済論でもある2冊の本、特に『「仮住まい」と戦後日本』のほうは、晩婚・非婚化と少子化は、単身者に対する住宅補助政策がほとんどないことが影響しているのではないかと書いています。
 非正規だと結婚が難しくなる。そもそも結婚できると思わなくなる。日本は婚姻届けを出したカップル以外に子どもが生まれる確率が非常に低い。婚外子差別は世間だけでなく政策面でもありますし、というか政府が差別するか国民も差別するんだと思いますけどね。それで、シングルマザーの貧困率の高さもよく知られています。
 独身の若者は、賃貸住宅に住むか、親元に住み続けるしかない。特に女性は、セキュリティが高い環境でないと心配、ということもあり、賃貸の価格が高く家を出ることを断念しやすくなります。女性は、セキュリティの問題もあり、身だしなみにもお金を使わなければならないし、生理用品もいるしで生活コストは高いのに、給料は安い。より独立が難しいのはよくわかります。大人家族は必ずしも仲良しではないし、確執を抱えた親子は、同居が長くなればなるほどその問題は大きくなります。
 やがて親も年を取り、要介護状態になると、ますます子は家を出られなくなります。そうした人々に支援の手は届きにくい。
 また、高齢者も住宅を確保するのが大変です。震災復興の際の仮設住宅の条件も非常に悪いことを伝えています。暑くて寒いので、おそらく高齢者の寿命を縮めているのではないでしょうか。
 平山さんは、新自由主義時代になり、住宅金融公庫を廃止し、URになった公団の新規着工も減らし、と公共住宅の量は世界でも珍しいほど少なくなった実態を示します。しかも、木造の古いアパートも老朽化でなくなっていっているので、賃貸は高くなってしまっていることを書いています。URですら市場価格になってしまったので、安くない。そうなんです、URは私にとってあまり魅力的ではない街の物件は手が出るけど、住みたい町のは高くて手が出ないんです。
 公的な家賃補助も、日本にはないと指摘します。なんと、外国には公的な家賃補助があるんですか!
 そんなこんなで、私たちのようなフリーランス夫婦が、家は高いし買えないし家賃も高くて大変だ、と思ってしまうのは当然だ、理想のキッチンのような良質な設備を手に入れることも難しい、ということがよくわかります。
 今は一時的に、お買い得物件に住んでいます。それは、社宅建設の最後の時期、バブル直後に立った某大手企業の元社宅に住んでいます。この家賃の割には設備が良質な、広くて使いやすいキッチンが手に入ったのは、そうしたおこぼれに預かったわけで、社員さんたちはこんないい設備に、たぶんもっと安く入っていたのかと思うと何だか悔しくなります。そして、平山さんの本を読んで腑に落ちたのですが、おそらく減価償却したら取り壊して土地を売るつもりです。あと10年でこの建物は取り壊すので定期借家権なんです、この部屋。ああ、ここを出ても良質な部屋に住み、念願の理想のキッチンを手に入れられる日は、本当に来るのでしょうか。


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