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新刊試し読み!最終回 なぜキッチンがやる気を奪うのか

 本日発売!自分のうつ闘病記を料理との関係から考えた『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』(幻冬舎)からの試し読み、これもnote連載中から人気が高かった記事をもとに書いた原稿です。

「生活史研究家」という仕事柄、本はたくさん持っている。専門領域は主に現代史で食が中心だが、昔のことも外国のことも知っておいたほうがいいし、政治や経済、文学など関係する分野は幅広い。何しろ、食は人間の活動の根本にある。誰だって食べるのだから。
 うつが悪かった10年ぐらい前はまだお金が回っていなくて、図書館で借りる本も多かったけれど、それでも蔵書はふえる。夫も資料をたくさん使う仕事をフリーでしているので、私たちの仕事部屋の壁は一面本棚で、ダイニングキッチンにも本棚があった。
 というわけで、私たちはお金があろうがなかろうが狭い部屋には住めない。本棚を置くために、二人暮らしなのに4人家族並みの広さが必要で、でもあまり郊外に住むと仕事に不便で……というわけで新築物件には縁がない。すると、何かしら難がある台所を持つことになる。
 最初に住んだマンションは、取り換えたばかりの小さなシステムキッチンでそこそこ使い勝手がよかった。でも、仕事部屋は西向きで夏はエアコンが効かなくなるし、その部屋が面している道路が幹線道路への抜け道で交通量が次第にふえ、うるさいので夜眠れなくなった。あの環境もうつへのステップだったように思う。それで静かな、陽あたりがよすぎない部屋へ引っ越して翌年、病院通いが始まった。
 二つ目のその部屋は、広めの2DKでダイニングテーブルの後ろに低いキッチンがある。大きなファンの下に、2口コンロ、右側に調理台があって、シンクへと続き、シンクの奥からキッチンセット右側の冷蔵庫置き場の後ろまで、幅1メートルぐらいの棚が伸びている。この棚が、便利なようで不便だった。なぜなら、手を伸ばしてやっと壁につく奥行きが深過ぎて、置いたものがすぐ「死蔵品」になるからだ。でも、キッチンはモノが多くなりがちなので、つい何かしら置いてしまう。鍋類のほか、ふだん使わないものを置いていたように思う。でもそうすると、掃除が面倒になるので不潔になる。
 キッチンセットの高さが低いことも、使い勝手が悪い原因だった。私は身長が162センチと高めで、夫が172センチ。でも、あの調理台の高さはたぶん、150センチ半ばの女性の平均身長を前提にデザインされていたと思う。かがみ気味で作業しなければならないので、長い時間使っていると腰が疲れる。夫はもっと疲れたようだ。だからあまり作業していたくなかった。
 換気扇が低い位置にあるのも困っていて、私はよく鍋の中を覗き込もうとして角に頭をぶつけ、イライラした。頭をかがめてソーッと覗き込まないといけないのだ。
 調理台のスペースも狭い。そもそも一人暮らしを始めた26歳のときから4半世紀、十分な広さのある調理台に巡り合えたことがない。賃貸マンションなので食器洗い乾燥機は置けず、水切り籠を置くと、調理台にはまな板をのせたらいっぱいになってしまう。切る前の食材や切った食材は、どこへ置いたらいいのだ。私はまな板の上に切ったものをよく溜めた。ニンジン、ジャガイモ、順に切って端っこへ寄せる。菜っ葉、シイタケ、切って寄せる。で、いっぱいになるとコロコロ転がって落ちる。ときには床へ。いやしょっちゅう床へ。
 今のキッチンも調理台が狭い。今まで調理台の狭さのために食器を割ったり、調味料をぶちまけなかったのが奇跡のようだ。すっかりその不便さに慣れたということか。
 ボウルに食材を溜めるときは、ダイニングテーブルが一時置き場になる。ダイニングから丸見えのキッチンも、テーブルをアイランドキッチンの調理台のごとく使えることについては、ある意味で便利だった。料理が入った鍋を置くこともあった。盛りつけもテーブルでやった。夫はよくテーブルに座ってまな板を置き、野菜の皮をむいたり切ったりしていた。
 それから、その部屋は冷暖房をしていても、夏暑く冬寒い傾向にあったので、冷え性の私は冬がつらかった。長い時間キッチンに立っていると疲れてくるのだ。不便さにストレスを抱えながら料理し、冷えてくると頭が回らなくなってくる。「豆腐が皿に入らずパニックになる」で書いたように料理している間に急に体調が悪くなって泣きわめき、夫に続きをやってもらうことが何度もあった。もしかすると環境が悪くてストレスがかかり過ぎ、料理ができなくなってしまったのかもしれない。
 家具屋などを回ると、世の中の家具の多くは広い空間を持てる都会のお金持ちと、土地代が安い町村に住む人たちが使うことを前提にしたものが多過ぎないだろうか、と感じる。特に収納関係はメジャーで部屋を測って狭過ぎるから無理、とあきらめることが多く、通販に頼るしかなかった。
 しかし、たとえば東京に日本の人口の約1割が住んでいることを考えてみて欲しい。東京の全部の住環境が悪いわけではないが、大都市圏では、狭くて不便な物件に住んでいる人も多いはず。その中には、不便なキッチンを持つ人たちがいる。
 4半世紀前、大阪で一人暮らしを始めるときに部屋を見て回ったら、IHコンロが1口だけで調理台が狭いキッチンばかりだった。コンロは2口ないと不便で料理しなくなる、と思ってガステーブルを置けるキッチンがある部屋を選んだ。でも実際は、1口コンロの部屋に住んでいる人がたくさんいただろうし、それは東京でも同じはずだ。格安物件なら、古い木造で冬に寒い部屋もたくさんあるだろう。何度かの引っ越しで見て回った中には、キッチンに西日がさんさんと射し込む部屋もあった。
 使いづらいキッチンだらけの都会で、「若者ができあいのものばかり食べている」「主婦が料理しなくなった」と言うのは、もしかすると酷な場合があるかもしれない。萎える気持ちと闘った人は、病気を抱える私だけではないだろう。そうしたたくさんの都会の部屋の中で、私みたいに、いや私より悪い体調で、料理ができない自分を情けなく思っている人もいるのではないか。腰痛を抱えて低い調理台に苦しむ人もいるのではないか。そういう環境のストレスから、料理をしない人たちもいるはずだ。
 キッチンが狭い、使い勝手が悪い、寒い、暑い、うるさい、明る過ぎる、暗過ぎる。問題だらけの部屋で、それでもご飯は食べないといけない。調理台、鍋置き場、調味料置き場、お玉などの調理道具置き場。いつも悩む。洗いやすさも重要だ。最近はお手入れ必要なしの換気扇がテレビで宣伝されているけれど、それもお金があって広いキッチンを買える人だけのもの。
 ストレスフルなキッチンで、それでも回復してきたからと料理をしてきた私、腰に負担を感じつつ交代で料理してきた夫、偉いよなーと今は思う。そして、いろいろな不便を感じながら、ままならない体調を抱えながら、それでも何とか料理しているたくさんの人たち、みんな偉い。


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