全ては心の持ちようで
今、鋭意制作中のこちら。
白藤をモチーフにしたものなのですが、私が作品をデザインする際には「そのモチーフに込められた一般的な意味と、自分の解釈→それを掛け合わせた作品に込めたい想い」というものを大事にしています。
今回も例に漏れず、白藤や藤の花について調べたのですが、この優美なお花もその習性からいい見方をされたり真逆の見方をされるケースもあることを知りました。
詳細はブランドWebSiteのブログにまとめました。
https://www.la-broderie-chante.com/post/motif-sirofuji
簡単に言うと、他の木に巻きついて育つ特徴だったり、「ふじ」という名前だったりが見る人が見ると「怖い」と捉えられるというものでした。
なるほど、確かにそう言われればそうだなぁ。
これってかなり、見る人の心持ちによって影響されるなぁ。と思ったのが正直な感想です。
もし、恐妻家の人がこれを見れば「おぉ、あの恐ろしい妻はたしかに藤のように巻きついて離れん女だ!」と恐れ慄くでしょうし、相思相愛のラブラブな新婚さんが見ると「そうよね、私たち決して離れることはないわ!」と気分も高まるかもしれません。
これは藤に限らずなんでもそうで、人間は不思議と同じものを目にしてもちょっとずつ、時には全く違う印象を持つ動物。
そこがまた面白いのだけれど…
時にそれがネックにもなるから、例えば平等な評価をする必要がある場面ではそれを「数値化」したりするけれど、基本的には感じ方は人それぞれでよくて、むしろそのことを常に頭に入れておく必要があると思っています。
何かを見た時、ある言葉を聞いた時、それを「重いと感じるか軽いと感じるか」も人によって全く違う。
この違いを不思議、面白い!捉えるのか、だから面倒だと捉えるかも同じで。
ただ、これを面倒と思うとなかなか大変かもしれないですね。
だって普通に生活していると絶対に違う見方をする人と関わる場面があるから。
私自身、このことを身を以て実感したのは結構最近のこと。20代後半とかだったでしょうか。
いろんなことに悩んだ末に、気づいたのでした。
今、30代に入りたてのひよっこですが、今はそんな違いを面白がりながらも、慎重に考えています。
自分が使った言葉や作ったものが、そのまま同じ感覚で相手が受け取るとは限らないので。難しいなぁとも思います。
そして私自身は、ひとつのものを見聞きする時には、いろんな側面を想像しながら、自分の解釈をゆっくりでもいいから決めることを意識的にするようになりました。
みんなそうしたら、世の中もう少しHappyになるかもしれない。
なんて勝手なことを思いながら…
acoco