現代アート、だった。
「奈良美智の作品の女の子に似てるね」
大学に入学したての頃、後に少しだけお付き合いすることになる軽音楽サークルの先輩に言われたひとことがきっかけだった。
奈良美智の名前や彼の肩書、作品のことはうっすらとは知っていた。似ている、と言われたことでちょっぴり親近感を持ち、大学の生協の書店で初めて奈良美智の作品集を手に取ってみた。おかっぱ頭、左右で色の違うつりあがった目、ふくれた頬、文句を言いたげな生意気な表情。小さな子供が描いたような、可愛い、の一言では片づけられない、静かな不満や反抗心が鬱屈としているその不思議な世界に引き込まれると共に、ひとつの素朴な疑問を抱いた。
「そもそも、現代アートって何?」
奈良美智《Missing in Action - Girl Meets Boy -》2005
時間だけは有り余っていた大学生だったから、授業の合間に暇さえあれば美術館やギャラリーに通い、よく分からないながらも自分なりに現代アートというものと向き合ってきた(現代アートが好き、と言えばなんだかおしゃれっぽくてモテそう、という女子大生らしい不純な動機も少し含まれていたことは正直に認める)。その過程で、これまでにないくらい大きく感情を揺さぶられたり、印象に残るアーティストとの出会いだったり、色々なことが自分という人間を豊かにし、深めてくれたように思う。
あれから早15年。サラリーマンになった私は、とにかく無我夢中で働いてきたのだけれど、どんなに時間がなくても、疲れていても、ずっと続けてこれたこと。それが、現代アート(を観ること)、だった。仕事終わりに立ち寄る夜の美術館で過ごす時間は、今も昔も、内省のためのとても大切な時間だし、趣味が高じて働きながら通信制の芸術大学も卒業した。日本全国の芸術祭は勿論のこと、2017年には大学生の頃からの念願叶って、「ドクメンタ14」「ヴェネツィア・ヴィエンナーレ」にも足を運ぶことができた。
15年間ずっと続けてこれたことなら、きっとこれからの15年も、30年も、私の人生には現代アートが寄り添ってくれるに違いない。それなら、印象に残った展覧会や、アートについて思うこと等、自由気ままに書いてみたい。そんな気持ちで、noteを始めてみたいと思う。