カタストロフと美術のちから展(2018-2019年)
先行き不透明なカオティックな時代に、「アートだからできること」とは
これを書いている今、世界は未曾有の事態に見舞われ、混沌としている。
今年1月頃から猛威を振るっている新型コロナウイルスは全世界に感染拡大し、世界規模でウイルスとの戦いが繰り広げられている。私の住む東京でも4月7日に緊急事態宣言が発令され、5月25日に約7週間ぶりに全面解除されたものの、引き続き予断は許さない状況であり、今後はこの正体不明のウイルスといかに共存するか、という新たなフェーズに突入していくこととなる。
これまで大きな天災や人災に直接的に見舞われた個人的経験がなかったこともあり、大変恥ずかしながら、これらをどこか他人事として捉えていた部分があった私も、外出を制限され、家族・友人・同僚と会うこともままならず、ひたすら自宅にこもることを余儀なくされ、「あぁ、いよいよ自分も当事者になったのだ」というかつてない強い危機感を抱いた。そして、ありふれた日常と、想像を絶するような悲劇はいつも隣合わせなのだ、ということを改めて思い知った。
当然、大好きな美術館やギャラリーに足を運ぶことも出来なかったわけだが、そんな中思い出していたのが「カタストロフと美術のちから展(2019年、森美術館)」である。
本展覧会は森美術館15周年記念展として開催されたが、「ハピネス展」(2003年、開館記念展)や「LOVE展」(2013年、10周年記念展)といった過去のポジティブムード満載の記念展の流れから逆行するような、ある意味異色なテーマだった。ただ、多様な課題を抱える国際情勢の流れを汲めば、森美術館がこのテーマに果敢に挑んだのも理解できるし、そのチャレンジ精神には感服する。
展覧会は「セクションⅠ:美術は惨事をどのように描くのか―記録、再現、想像」と「セクションⅡ:破壊からの創造―美術のちから」の2つのセクションから成り立っており、前編では過去の天災や個人的な悲劇を含む人災等の惨状が描かれた作品の鑑賞を通じて、他者とカタストロフの記憶を共有し、継承していくプロセスを鑑賞者が自ら体験することとなる。
平川恒太《ブラックカラータイマー》2016-2017年
真っ黒に塗られた108個の電波時計の一つ一つに描かれているのは、福島第一原発で従事した作業員の肖像。電波時計が立てるカチッ、カチッという音は何へと向かうカウントダウンなのだろうか。
武田慎平《痕》2012年
天の川を撮影したかのような美しくロマンティックな写真。その実態は東日本大震災の各被災地で土を採取し、放射線で感光させたもの。
一方後編では、破壊から創造が生まれ、アートが再生、復興、平和の実現に向けてどのように携わってきたのか、作品を通して事例に触れると共に、鑑賞者に対して「アートに何ができるか、アートの持つ力とは」と、その可能性を問いかけ、最後には惨状の中においても強い希望を感じさせるような構成となっていた。
ジョルジュ・ルース《アートプロジェクトin宮城》2013年
宮島達男《時の海-東北(2018東京)》2018年
オノ・ヨーコ《色を加えるペインティング(難民船)》1960/2016-2018年
アートは、ワクチンでも即効薬でもない。だからウイルスが蔓延しても、アートに直接的にできることはほとんど何もない。でもアートには、じわじわと私たちの免疫力、抵抗力を高めてくれる漢方薬のような力がある、と個人的には思っている。アートはこれまでも、メディアの報道からは知り得ない事実を別のアプローチから可視化して伝えてきたし、その美しい色彩や表現を以って人々の疲れ切った心身を慰め癒し、そのイマジネーションやクリエイティビティを以って人々に希望の光を見出させ、前を向く活力を与えてきてくれた。その力は今後も弱まることはないし、様々な課題を抱えるこれからの社会においてこそ、ますます効力を発揮するのではないだろうか。
…と少なからず現時点ではこう思っているのだけれど、きっと本当の意味で「アートの力」が何なのか、私はきっとまだ完全に捉えることが出来ていないのだろうな、とも思う。この捉えどころのない存在は、これからも私を惹きつけて止まないだろう。
美術館やギャラリーでたくさんの作品に触れられる、そんなありふれた日常が、近い将来一日も早く戻ることを願って。