学校教員のmyルール

学校の先生にはmyルールを持っている人が極めて多い。

皆さんも学生時代に経験があるのではなかろうか。

例えば、暗算でできるような計算問題も筆算を書かなければダメである、とか。計算する順番はこれでなければならない、とか。ノートはこの書き方でないと認めない、とか。

こういう場面を見る度に、「別に学びになるなら何でも良かろう」とは思うのだが、昔から今に至るまでこの風潮の変化は非常に乏しい。

myルールへの指摘をすると、ルールがなければ手間がかかると反論が来ることが多いのだが、個人的にはルールがあるほうがかえって手間である。

考えてもみてほしい。myルールからはみ出た子を意図してチェックし、その子にいちいち注意をし、直っていなければわざわざ怒るのだ。

私から見れば、労力と時間を取り立てて消費し、ストレスを敢えて増加させ、その一方で子供の満足度を特別減少させ、皆を殊更不幸にしてしまう。

確かに何かとやることが多い中で生徒の統制を取り、クラスの治安を維持するのは難しい。それはわかる。

だがしかし、それをmyルールで縛り治安を維持しようとするのは独裁政権のそれと大差がない。

むしろ独裁政権によって不信感は募りやすくなる。仮に治安が良く見えたとしても、それはあくまでも表面化していないだけの場合だってある。


 学校の問題としてよく取り上げられるものに「いじめ」があるが、個人的に人間である以上「いじめ」が起こることは仕方がないと思っている。歴史を見ても、大人や高齢者を見ても「いじめ」があるのだから人間はそういう生き物なのだと思っている。

しかしながら、もちろんそれをよしとしているわけではない。避けられるものであれば避けることが最善であるし、本来起こりえないものであれば起こさないことが最善であるとも思う。

「いじめ」はほんの些細なことで起こりうる。これは私のされた側の経験としてのサンプル1の事象だが、そのきっかけは本当に「虫の居所が悪かった」だけであった。

私をいじめた子は、放課後に宿題のことに関して(彼にとっては)理不尽なことで先生に怒られていた。私はそれを知らずに「まだ帰らないの?」と彼に尋ねてしまった。当時、彼はあまり学校の勉強が得意な方ではなく、私は得意な方であったため、その一言は嫌味だととらえられた。その一件に腹を立てた彼が、あの放課後の会話1ラリーを盛に盛ってクラスの人たちに話し、その誤解が解けるまでしばらく一部の人からいじめを受けることになった。

当時はいろいろ思うところはあったのだが、学校が別々になると気にならなくなったので、成人式の時に好奇心で「いじめ」のきっかけを聞いてみたらそういうことであった。


話はかなり脱線してしまったが私は、myルールによる独裁的な治安維持によって潜在的な治安悪化を招く場合もある、という経験を得ている。

もちろんこれは誰にでも当てはまることではないし、明らかに例外の部類に入るのではないかとも思っている。

しかし先に述べたように、避けられる問題であれば避けたほうが良いし、起こりえなかったものであれば起こさないほうが良い。

myルールは比較的諸刃の剣であることが多い。

もちろんすべてのmyルールが悪いわけではないと思う。

問題なのはポジティブな意図のないmyルール理屈に合わないmyルールである。

自分も他人ごとではないし、myルール事件は一般社会や対人関係でも起こりうることなので改めて気を付けようと思う。


ちなみに最近きもいなと思ったのは「ポニーテールは男子の性欲を掻き立てるから駄目だ」というルールを発表した教員である。

「そうか、そうか、つまりきみはそんなやつなんだな。」


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