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なぜ私たちはこの人生の中で安らぐことがないのでしょう?
父の家を探している幼子
なぜ、私たちはこの人生の中で安らぐことがないのでしょう?
なぜ、私たちは平安や幸せでいることができないのでしょう?
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、そのような疑問に対して明確な答えを示してくれています。
つまり、そもそもが自分から平安や幸せを拒否しているというのが、その答えです。
さらには、そのことを自らの無意識に隠した(忘れた)状態にしています。
そう、私たちはこの世界で何をしているのか?
というなら、
自ら望んで、まるで無力で卑小で脆弱な被害者になったかのように装って、この人生の中のさまざまな形態で、平安、幸せ、喜びとは真反対の状態をただ体験しているだけなのです。
自分の居場所がない、、、
自分の居るべき場所はここじゃない、、、
どこに居ても誰と居ても心安らぐことがない、、、
不平、不満、不安、憂鬱、絶望、孤独、虚無、、、数え上げたらキリがありません。
安住できる場所に帰りたい、、、わが家に帰りたい、、、
この世に生きる私たちは誰もが皆、大なり小なり、自覚しているしていないに関わらず、心の奥底にその想いを抱いているということです。
自分はこの世界に居る人間(肉体)であると信じることによって、本当の自分も、本当の自分が居る場所も忘れているので、それは当然のことなわけです。
というのも、私たちは誰もが皆、自分はどこにいるのか?何をしているのか?さえわからなくなってしまっているからです。
コースでは、それを次のような言葉で表現しています。
あなたの中には父の家を探す幼子(おさなご)がいて、その子は自分がここでは異邦人だと知っている。・・・・あなたの父がわが子として知っているのは、この幼子である。自分の父を知っているのも、この幼子である。彼は家へ帰ることを深く絶え間なく欲しており、彼の声は少し休ませてほしいとあなたに訴えている。・・・・・・彼はわが家のことを絶え間なくあなたにささやき続ける。(W-pI.182.4:3; 5:2-3; 7:4)
この世界で居心地の悪さ(苦痛/苦しみ)を感じているのなら、それは自分たちの無意識に隠されている幼子(おさなご)が訴えかけているということです。
むしろ、ある意味、その居心地の悪さを感じていることのほうがまとも(正気)だと言うことができるでしょう。
逆に、この世界は居心地がいい、というふうに感じているとしたなら、内なる幼子をうまく無視(否認/隠蔽)することができていると言うことができます。
そういうことでいえば、この世界に居る私たちはそのようにして内なる幼子を無視(否認/隠蔽)し続けているといえます。
それによって、私たちはわが家(天国)の記憶を忘れてしまったかのように感じています。
でも、その記憶を完全に消し去ることはできないのです。
その記憶を覚えている幼子(おさなご)は、この今も、わが家に帰ることを望んでいます。
この世界にいる私たち誰ものその内側に、父の家に帰ることを望んでいる幼子がいます。
私たちはその幼子に耳を傾けよう(気づくこと)としていないだけです。
その幼子は、この今も気づいてくれる瞬間を待っています。
あなたがその声に気づくとき、ようやくわが家への帰還の旅がはじまるといえます。
私たちは別な旅に出なければならない。そして、あなたがこれらのレッスンを丹念に読んでいくなら、あなたの旅支度の助けとなるだろう。(T-4.In.3:11)
そう、もしその声が静まることがないのであるならば、今がその帰還の旅に出るときだと知るべきだといえましょう。