コースの学びと実践を通して私が理解したこと、そしてその成果について
何が真の赦しであるかについて
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)学習の歩みは、「形而上学(理論)の学び」と「実践を通しての学び」の両輪によって、その学びは深化していくと言うことができます。
そう、コース形而上学の学びも重要なのはもちろんのこと、それが実践において適用されていかないならば、学びを深めていくことはけっしてないということです。
そして、その実践的な手段が、「赦し」と呼んでいるものです。
ただ、その「赦し」とは、コースが独自に定義する「赦し」であるということを忘れてはなりません。
ですから、その赦しがいったいどういうものなのか?が分かっていないなら、実践することすらできないといえます。
それゆえに、私たちはコースの「赦し」について学ぶ必要があるわけです。
そして、そのために私たちはコースを学んでいると言うことができます。
つまり、コースの教えを理解するということは、「赦し」について理解するというふうに言うことができます。
しかも、それは完全に修得(習得/マスター)されるまで学ばれなければならないということです。
「赦し」が、自分にとって自然で当たり前な状態になるまで、それは学ばれなければならないということです。
そうでないなら、「コースを理解した」「赦しを理解した」ことにはならないということです。
もちろん、私もその学びの途上であることは言うまでもありません。
以上のことを踏まえて、現時点の私が理解した範囲で、「赦し」について書いてみたいと思います。
コースの実践はどのようなことをしていくのか?
コースの学びが深まっていくつれて、どのようになっていくのか?
というなら、
自分の内側はどう反応しているか?
ということにフォーカスが向かっていくと言うことができます。
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コース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践を通して、非二元、真理、悟り、解脱を目指しているコース学習者のためのマガジン。
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