
今すでにそうであるものを赦す
様々な形態がいくら複雑に見えようとも
私たちは一つ(ワンネス)です。
私たちは一つの心です。
私たちは一つの心であり、あなたも私も世界も別々ではないわけです。
それが真実であるにもかかわらず、私たちはどんな状態になっているのか?
というなら、
その一なる心が分離の夢を見て、あたかも私たちはバラバラに別々に存在しているかのように知覚(錯覚)しています。
なんということでしょう。
その知覚が誤りだとしたなら、いったい私たちは何を見ているのでしょう?
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の教えで言えば、
「神からの分離が起きた」「神から分離した」「天国から離れた」
という夢を見ているということです。
要は、私たちが知覚している世界は、一なる心の夢の中なのだということです。
この世界の夢の中では、さまざまな夢のストーリーがあるかのように見えます。
さまざまな人生のストーリーがあるかのように見えます。
この世界の中では、まるでいくつもの人間関係のストーリーが複雑に入り組んで展開されているかのように見えます。
でも、私たちが学ばなければならないのは、さまざまなストーリーが展開しているそのすべてが、実は「一なる心」がたった一つの夢のストーリーを見ているだけなのだということです。
そう、問題はたった一つ、真の原因はたった一つなのだということです。
コースの学びが深まっていくにつれて、私たちはそういうことを自覚/認識するようになっていきます。
コースが教えていることが真実だと理解されてくるようになります。
つまりは、この世界の中で展開しているすべてが原初の瞬間を形態を変えて繰り返し反芻しているだけなのだということが体験的に理解/認識されはじめてくるということです。
そのようにして、目覚めのプロセスがはじまっていくといえましょう。
様々な形態がいくら複雑に見えようとも、その内容は一つのストーリーの反映なのだということです。
あなたの人生も、私の人生も、誰かの人生も、どの人生も形態を超えてその内容でみるならば、どれも同じだと。
そういうことが理解されてくるならば、輪廻転生についても、それがどういうものかが理解されてきます。
私たちはただ単に「分離の想念」が作り出したストーリーをこの時空間でさまざまに体験しているだけだと。
私たちは同じ一つの夢を見ているだけです。
そして、私たちに求められているのは、それは自分で見たくて見ている、つまり、自分で自分にこれ行っているということを思い出すということです。
とは言っても、この世界にいる私たちはもはやその真実をすっかり忘れてしまっています。
それは忘れられているからこそ問題なわけで、その真実を自覚/認識していくこと、そして、そこから見るならば、なんら問題ではないと分かります。
それを、コースでは「赦し」「奇跡」と呼んでいます。
「赦し」とは、今ある己の人生を、今すでにそうであるものとして受け入れていくこと、愛していくことだと言うことができます。
愛するとは、赦すということです。
赦すとは、受け入れるということです。
つまり、
あなたはあなたの人生を受け入れる、愛するということです。
今すでにそうであるものを受け入れ、愛するのです。
そのとき、ヴィジョン(真の知覚)はますます開かれていくことでしょう。
これでいい、それでいい。
今すでにそうであるものを赦すということです。
そのとき、今この瞬間にただ在ることの喜びの扉が開かれていくでしょう。