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肉体について、コースではどのように見ていくのか?

肉体とは

肉体とは何か?

というなら、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)では、自我のシンボル(象徴)というふうに表現をしています。

つまり、特別性、個別性の象徴であるということです。

また、それは不完全さの象徴でもあります。

実際に、傷つくことができますし、死というものが必ず来ます。

まさに、不完全で、脆弱で、卑小で、有限な存在としての象徴であり、その証しとなっているのが、まさにこの肉体だといえましょう。

本来は「神に創造されたままの自分」(W-pⅠ.94)であるはずにもかかわらず、なぜ私たちはそのような不完全なものとなったのでしょう?

その答えは、自分で自発的にそう願望したのだということです。

しかも、この今も、その願望した結果を自ら体験しているだけなのです。

本来は完全である者が、永遠である者が、無限である者が、つまり、神の子である自分が、その対極の体験をしたくて、この時空という夢の中で、自分でそれを体験しているだけです。

無限である者がわざわざ有限なる者として、永遠不滅なる者がわざわざ死ぬ者として、それを経験するために自分でこの夢を作り出し、この夢の中に入り込んで、夢の主人公となっているということです。

ただし、そういった真実は無意識レベルにおいて自らに秘密にしているせいで、そのことにまったく無自覚になっているといえます。

すべては、神のひとり子が自分で作り出した夢を見ているにすぎないのです。

つまり、この世界で私たちが体験していることは、神のひとり子が自分で自分に行っているにしかすぎないわけです。


救いの秘密は、「あなたは自分で自分にこれを行っている」ということだけである。(T-27.Ⅷ.10:1)

奇跡講座/中央アート出版社


すべては自分ででっち上げた夢でしかないのだということを思い出すこと、それが、コース学習者の私たちに求められているものです。

それをコースでは「奇跡」「赦し」と呼んでいます。

そしてそれが、このコースを学んでいる私たちが修得(マスター)しなければならないものなのだということです。


神についての記憶は私たちの神聖な心の中に宿り、その心は、自分たちが一なるものであることも、創造主と一体であることも覚えている。この記憶を取り戻し、神の意志を地にも行わせ、正気に返り、神に創造されたままの自分でいること。これだけを私たちの機能(はたらき)としよう。(W-pII.11.4:5)

奇跡講座/中央アート出版社


では、肉体については、どのように見ていくのか?

というならば、たしかに肉体は自我の思考体系が作り出した象徴であるわけですが、だからといってむやみに否定していくわけではありません。

肉体自体にイイもワルイもありません。

肉体そのものは実在しないわけですが、否定していくのではなく、その目的を変えるだけです。

つまり、これまで肉体は「自分は不完全な者である」という自我の証拠として使われていたのを、コースの実践においては、真の自己を思い出していくための学習手段として使っていくことになるということです。

それは、肉体にかぎったことではありません。

この世界や、この世界で経験していくことも、けっして否定されるものではないということです。

むしろ、コースの学びと実践においてはそれらを使っていくわけで、必要とされるものなのだということを知っておきましょう。


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