私たちが理解しておくべき自我の防衛システム
自我の抵抗、自我の防衛システムについて
コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)というスピリチュアリティの特徴は、心理学的な側面が色濃く織り込まれているところだといえます。
つまり、コースは一元論のスピリチュアリティであるとともに、私たちの心の無意識の領域について心理学の観点から述べられたものであるということです。
それこそが、コースというスピリチュアリティ(霊性の道)の優れているところだと言えるでしょう。
コースが教えてくれている内容の中でも、とくに私たちが学ばなければならないのは、私たちの無意識の領域では、普段の表層意識で考えていることとはまったく真反対の考えを抱いているということです。
いかに自分は平安になりたくないか!いかに自分は幸せになりたくないか!いかに自分は自分自身を欺いたままでいたいか!
コースの教えを理解していくとき、そのことが認識されていきます。
この世界に居る私たちの誰もがみんな「真理」「目覚め」を恐れているということが理解/認識されてくるということです。
私たちはそれゆえに肉眼で見ているこの世界を知覚しているということも分かってきます。
そういった私たちの自覚していない深層心理(無意識)の領域について、コースは詳細に教えてくれているといえます。
そう、私たちはコースの学びを通して、そういうことについてもっと理解していくことが求められているわけです。
つまり、「自我の抵抗」「自我の防衛システム」というものについて、私たちはしっかり学び、理解していく必要があるということです。
防衛機制 ~目覚めへの恐れ
上記でも述べたように、私たちは「自我の抵抗」「自我の防衛システム」について心理学の観点から理解しておく必要があるといえます。
では、
「自我の抵抗」「自我の防衛システム」とはどういうものなのでしょう?
心理学的な側面から分かりやすい例で説明するなら、
クライアント(患者)さんである本人は癒されたいと願っていても、その無意識の深層心理では、むしろ癒されるのを拒否している、ということがあったりするということです。
癒されないほうが本人にとってメリットがある場合、そういうことが起こるのです。
(例えば、健康になってしまったら、家族が自分に気を向けてくれなくなるといった場合など、です。)
私(もりG)の心理セラピストとしての経験から言っても、そういうことはよくあったと言うことができます。
「自分は癒されたくない」ということが、なにせ、クライアントさん本人にはその自覚がないのです。
表層意識ではいくら「癒されたい」と思っていても、それは無意識層のレベルにおけることなのでなかなか自覚されにくいのです。
つまりは、癒されることに対して、そして幸せになることに対しての「抵抗」「防衛」というものが無意識レベルで働くわけです。
その場合、クライアントさん本人の癒しが困難なものになって、なかなか癒されないということになるのです。
そのようなことを発見したのが、心理学者のフロイトでした。
ちなみに、そのような心の防衛的な精神力動を、心理学用語で「防衛機制」と呼んでいます。
あまりにも受け入れ難いようなことを自覚したならばとうてい耐えられなとき、曖昧にしたり、隠蔽したりして無意識の中に閉じ込めるという精神力動が強く働くのだということです。
要は、そのようにして自分を防衛しようとするわけです。
そういうものが私たちの無意識レベルで働いているという概念を、一元論のスピリチュアリティに応用したものが、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の教えだということです。
つまり、コース形而上学の観点から見るならば、
私たちコース学習者は、神のもとに帰る(目覚める)ことを求めてコースを学んでいるわけですが、じつのところ、私たちは神の愛(目覚めることを)をひどく恐れており、そのことが私たちには自覚されていない、
ということです。
なので、私たちは、その「自我の力動論」(T-11.Ⅴ)について学び、そして理解する必要があるということです。
つまり、コースは、癒されること、幸せになることへの「抵抗」が私たち誰もの無意識の中に共通してあるということを教えてくれているわけです。
さらには、その「抵抗(障壁)」を見つけ出して取り消していくことが私たちがしていかなければならないことだということもコースは述べています。
私たちが学ばなければならないのは、無意識レベルにおいて誰もが共通して、癒されること、幸せになることへの恐れを無意識に隠蔽しており、それを隠し持っているということです。
この世界を知覚しているということが、じつは、そういうことなわけです。
私たちは、神の愛を、真理をひどく恐れているわけですが、その恐れ(罪悪感)を、この世界によって覆い隠しているということなのです。
コースが教えていることを真に理解していくとき、私たちは(自分自身も含めて誰もが皆)そういうことをしているのだということが分かってきます。
そう、そのような心理的な精神力動のメカニズムをしっかり認識していくことが、コース学習者の私たちには求められているのです。
要は、無意識の領域に隠されているものを意識化していく、明るみにしていく必要があるということです。
私たちの無自覚なところではじつのところ目覚めたくなどないのです。
というのも、もし目覚めてしまうならば、この個人/個別の自分は消滅してしまうわけで、私たちはそうなることをひどく恐れているのです。
そう、私たちはその目覚めに対する恐れを否認し続けていることに無自覚になっているからこそ、それを自覚していく必要があるわけです。
そのことは、コースの教えを理解するようになってようやく分かってくることだといえましょう。
そして、実際に実践していくことによって、そのことがもっと自覚/認識されていくことになるでしょう。
私たちは、どれだけ神の愛を恐れていることか。
私たちは癒されるよりも、自分は癒されたくない、傷ついていたい、苦痛、苦しみを感じていたい、孤独でいたい、、、、と望んでいるのです。
そのようにして、個別性、特別性を維持し続けようとしているわけです。
「自分はこの世界に居る」と信じているということ自体が、じつは、そういうことなのです。
(私たちは、神の愛への恐れから逃れるために、この世界に逃げ込んで来ているのだということです。)
ようするに、私たちは苦痛や苦しみでもいいから、この個別性、特別性を維持していたいということなのです。
なんという狂気でしょう。
それが私たちがしていることです。
今や私たちはその自我(狂気の思考体系)と同一化してしまっています。
コースを真摯に学んでいくならば、その自分(自我)を自覚/認識するようになっていきます。
そういうことで言えば、私たちはその自我に気付けるようになるために、コースを学んでいると言うことができます。
そのためにも、コースの形而上学(思考体系)を正しくしっかりと理解していくことは絶対に必須だといえましょう。
つまり、私たちの無意識における心のメカニズムを理解していくことが必須なのだということです。
というのも、それが、自我の精神力動に気づいていくきっかけとなり、それが癒しの一歩となるからです。
ワプニック博士はこう言います。
「コースは、まさに、心理学なのです」と。
コースは心理学者(ヘレン・シャックマン、ウィリアム・セットフォード)によって書き取られたものであることは言うまでもありません。
だからといって心理学をわざわざ学ぶ必要はありませんが、コースはそういうものだということを知っておくことはあなたの学びにおいて大きな助けとなるでしょう。
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