自我そして自我がしていることに対して「イッツ・ノット・OK」と言いなさい!
真理を否定していることをOKとはしない
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践で私たちは何をしていくのか?
というと、「赦し」の実践を通して自我を咎めずに見るということをしていくということです。
その自我とは、まさに私たちのことです。
それというのも、私たちは、今や自我と同一化してしまって、もはや自我となってしまっているからです。
その自分(自我)は、毎瞬のように、攻撃、裁き(ジャッジメント/価値判断)をしています。
そのようにして、私たちは聖霊/イエスを拒絶しているとも言えますし、もっといえば、「神からの分離は起きた」ということを証明し続けていると言うことができます。
そんな自分(自我)を咎めることなく、裁くことなく見ていくことが、コースの実践において私たちに求められていることなわけです。
ワプニック博士は、こう云います。
「自我(自分)が考えていること、自我(自分)がしていること、それを見て、”イッツ・ノット・OK(It's not OK)”と言いなさい」と。
”イッツ・ノット・OK(It's not OK)”を日本語でいうなら、「私はそれをOKとはしません」、つまり「私はそれを良しとはしません」ということです。
それが何を意味するのか?
というなら、私たちは、毎瞬、毎分、毎秒、自我のなすがままに「それをOKとしている」ということです。
そのことを自覚/認識することがとても重要なのだと、ワプニック博士は云います。
つまり、「自分は人間である、自分はこの肉体である」と信じているなら、私たちは真理を否定しているということです。
そして、私たちは無意識のところで、それをOK(良し)としているのです。
もし私たちが「自分は真理を否定している」ということを自覚/認識するならば、そして、その代償を理解するようになるならば、もはやそれをOKとはしなくなるでしょう。
私たちはそのことを自覚/認識していないからこそ、それを容認したままでいることができるのです。
そのことについて、コースのテキストの中でも以下のように述べられています。
ですから、そのことを自覚/認識していくことがどれだけ重要かが分かるはずです。
自我を、そして自我がしていることを自覚/認識していくこと、それが私たちに求められているのです。
しかも、それを変えようとか、手放そうとか、裁くわけでもなく、ただ「それをOKとはしない」としていくのです。
それが、「自我を咎めずに見る」ということであり、それが、私たちがしていくことなのだということを知っておきましょう。