コースを他のスピリチュアリティやセラピー、ヒーリング、自己啓発といったものと融合させることについて
コースを学んでいるその目的は何なのか?
ときに、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)をセラピー、ヒーリング、自己啓発、あるいは、他のスピリチュアリティと融合させたり、混ぜ合わせたりしているケースがあったりします。
そのことについて述べてみようと思うわけですが、
そのためには、まず、
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)とはどういうものなのか?
についてはっきりさせておく必要があるかと思います。
まず、私たちが知っておかなければならないのは、コースは一元論のスピリチュアリティなのだということです。
コースは、いわゆる、この世界の夢から自由になっていくことを目指しているスピリチュアリティであるわけです。
なので、その目的を見誤ってしまうならば、つまり、ちがう目的でコースを学んでいくならば、いくらコースを学んでいると言っても、それはコースとはちがうものを学んでいると言わざるを得ないということです。
ですから、セラピー、ヒーリング、自己啓発、あるいは、他のスピリチュアリティといったものとコースとを融合させているコース学習者やコース・ティーチャーたちに言えることは、
コースの目的を何としているか?
それがとても重要であるということです。
この世界の夢から目覚めていくことが目的なのか?
それとも、それ以外の目的なのか?
それによって、その学びも、そして学びによってもたらされる成果もまったくちがったものになるといえましょう。
そういうことでいうならば、そのほとんどが、この世界の夢から目覚めていくためというよりも、この世界の夢の中で幸せになることを目的にしていると言うことができましょう。
それがいけないということではありません。
それは、彼らを否定するものではなく、それらスピリチュアリティ、セラピー、ヒーリング、自己啓発といったものを否定するものでもありません。
ただ、
コースを学んでいるその目的は何なのか?
そのことを明確にしておくことは、コースを学んでいる学習者にとって、もっといえば、コースを教えているティーチャーにとって、しっかりと把握しておかなければならない重要項目なのだということです。
真理へ導くものと真理から遠ざけようとする魔術とを見極める
真理から見るならば、もちろん、コースですらも幻想の中の産物であると言うことができます。
コースも含めて、すべてのスピリチュアリティやセラピーやヒーリング、自己啓発といったものは、幻想世界の中に属するものだということです。
ただ、言えることは、コースはこの世界の幻想から目覚めさせてくれるものであるということでいえば、この幻想世界の中にいる私たちにとっては有益なスピリチュアリティであると言うことはできるでしょう。
逆に、それが真理へと導くものでないならば、つまり、この世界の夢から目覚めていくことへと導くものでないならば、それは魔術にすぎないということです。
魔術とは、真理から遠ざけようとするもの、真理へと向かわせないようにするもののことを言います。
ようするに、真理へ導くものと真理から遠ざけようとする魔術とを私たちはしっかり見極める必要があるわけで、私たちはその見極める力を養っていく必要があるということです。
いわば、そのために私たちはコースを学んでいるのだといえます。
コースの学びと実践を通してその学びが深まっていくにつれて、私たちはその識別(見極め)がしっかりできるようになっていきます。
それが真理へ導くものなのか?真理から遠ざけようとする魔術なのか?
それが明確に分かるようになります。
と同時に、学びが深まっていくにつれて、
たとえそれが魔術だと分かっていても、むしろ、魔術を受け入れるようになっていくといえます。
結論から申せば、セラピー、ヒーリング、自己啓発などいったものは、コースの観点から見るならば、「魔術」でしかありません。
魔術とは、つまり、真の解決ではないかたちで解決を試みることを言います。
つまり、魔術は、目覚めとは一切関係がないものということです。
もし、魔術であるものと目覚めていくためのコースとを混同するなら、この世界の夢から目覚めることは不可能だということは言うまでもありません。
それは、魔術を使ってはいけない、ということではけっしてありません。
目覚めていく者にとって、魔術は単に魔術でしかないということです。
非二元のスピリチュアリティ、セラピー、ヒーリング、自己啓発など、それらが一様に幻想世界に属するものだと理解されていくならば、いちいち、それらを否定することもなくなるというものです。
むしろ、この世界のものすべてがまがいもの(幻想)であることが理解されてくるなら、そのすべてを愛するようになるといえましょう。
そしてそれが、コースで「赦しのまなざし」「愛のまなざし」と呼んでいるものです。
それが、「目覚めた者」の知覚の仕方です。
コース学習者の私たちはその知覚(真の知覚)を完全に修得することを目的としているのだということを覚えておくと良いでしょう。