コースでいうところの「心」は一般的にいう心の概念とはまったく異なる
コースでいう「心」について
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)でいうところの「心」の概念は、なかなか捉えにくいものだといえます。
というのも、コースでいうところの「心」は、私たちが通常一般的に捉えている心とはまったくちがうものだからです。
コースの学びがまだ浅い段階においてはそのことを知らずに、コースでいう「心」をいわゆる頭脳(個人の心)と勘違いして捉えていることがよくあります。
(一般的に私たちが心と呼んでいるものは、コースでは「頭脳」と呼んでいるということです。)
私たちが知っておかなければならないのは、コースでいう「心」は個人的なものではないということです。
コースでいう「心」の概念を理解することは、コースを学んでいく上でも、コースを実践していく上でも絶対に必須です。
そうでなければ、真の赦しも不可能どころか、いくらコースを学んでいったとしても、学びの階梯を上っていくことができないからです。
ワプニック博士もこう云っています。
「心の自分へと自己認識(アイデンティティー)をシフトしていかないかぎり、(自分は人間であると信じたままでは、)コースを学んでいくことはできません」と。
では、コースのいう「心」を理解していくには、そして、その「心」の自己を思い出していくにはどうしたらいいのでしょう?
そのためには、もちろんコースの形而上学をしっかり学んで理解していくことが必要ですし、そのコース形而上学の理解に基づいて実践していくしかないということです。
それは、学びと実践の両方を通して、次第に理解され、認識されていくようになるということです。
(最終的には、「心」である自分を完全に思い出すことが、コース実践者のゴールだということを覚えておきましょう。)
コースの学びが深化していくにつれて、自分は個の肉体(個人の自分)ではなく、自分は「心」であると認識しはじめるようになっていきます。
そして、自分は「心」であるということが自覚/認識されるようになるならば、これまで自分だと信じていた「個人の自分」というものは「心(間違った心)」が作り出した影(象徴)であることが自覚されるようになっていきます。
そのようにして、自己認識(アイデンティティー)が、肉体である自分から一なる「心」の自分へとシフトしていくことになります。
要約するならば、
コースの実践は何を目指しているのか?
何のためにコースを実践していくのか?
その目的は?
というなら、自分は「心」であるというアイデンティティーを完全に思い出していくことを目指しているのだといえましょう。
そして、その実践的な手段が「赦し」なのだということです。
コース学習者はそのことをちゃんと理解してコースを学んでいきましょう。
聖霊のガイダンスについて
コースが上記で述べたような霊性の道であることが深く理解されてくると、「聖霊」についての理解と認識もかなり明瞭になるといえます。
例えば、
聖霊やイエスがこの世界(形態レベル/行動レベル)についてアドバイスするのか?
ということについていえば、
「自分は心である」と自覚されていくならば、そのようなことはあり得ないということが明らかになっていきます。
それだけでなく、自我はそのようなことをして聖霊やイエスをこの世界の幻想の中に引きずり込もうとするのだということに気づけるようなっていきます。
もし私たちがこの世界での行動(形態レベル)について聖霊やイエスにガイダンスを求めるとしたならば、それは「自分は人間(個の肉体)であり、この世界は実在する」と宣言しているようなものだということです。
「心」の自分を自覚/認識するようになるにつれて、そのようなことは狂った者(自我)しかできないということがますます明白になっていくといえるでしょう。
私たちコース学習者に求められていること
私たちはコースの学びと実践をしていくわけですが、
誰がコースを学んでいるのか?
誰がコースを実践していっているのか?
その自分を自覚していくことが求められているのだといえましょう。
つまり、コースの三部作の中で「あなた」と語りかけているあなたとは個人的なあなたではないということです。
コースのイエスは肉体である個人的なあなたにではなく、あくまでも、「心」のあなたに語りかけているのだということです。
個人の自分は夢の中のキャラクターにしかすぎません。
もっといえば、個人の自分など実在していません。
そう、コースを学んでいるのは個人の自分ではなく、「心」の自分なわけです。
コースの学びが進んでいくにしたがって、そのことが自覚/認識できるようになっていきます。
コースは、自分とは何者か?という「自分の本性」を思い出していくことが目的であるということを覚えておきましょう。
肉体である自分から「心」である自分へと完全にシフトするまでは、肉体の自分と「心」の自分とのアイデンティティーを行ったり来たりしながら学びは進んでいくということを知っておくと良いでしょう。
その学びと実践(訓練)は、完全なるシフトを成し遂げるまでなされなければならないということです。
コースはそのような霊性の道であり、だからこそ、その道を歩もうとするのであるならば、そこには多大な意欲と訓練が必要なのだということも知っておきましょう。
参考記事:JACIMサイト別館ビデオ「V#27:心と肉体」