心(意識)が変われば世界が変わる!?
世界が変わるのではなく、知覚が訂正されるということ
ときに、スピリチュアリストさんたちが、
意識が変われば世界が変わる、
心が変われば出来事が変わる、
ということを提唱しておられますが、それって本当なのでしょうか?
真理からみるならば、人生のシナリオは決まっているといえましょう。
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の観点から見れば、すべてはもう終わった(撮り終えた)ドラマというふうな言い方をします。
世界は起こるがままに起きているだけです。
人生で起きる出来事も起きることが起きているだけです。
もし、「意識が変わったおかげで、人生が変わった」というふうに経験しているとするならば、それすらもはじめからそうような人生のシナリオになっていたというだけのことです。
真理から見るならば、そういうことです。
真理、非二元、悟りを探究している者であるならば、そのことを受け入れていく必要があるといえます。
そうでないならば、つまり、外側の世界や出来事に変化を期待しているならば、外側の世界や出来事に振り回され続けることになるだけでなく、悟りからも目覚めからも遠ざかることになってさまようことになるといえましょう。
ですから、私たちが「悟りの視点」から生きようとするならば、
世界は変わるかもしれないし、変わらないかもしれないし、
出来事は変わるかもしれないし、変わらないかもしれない、
そのような見方、生き方、在り方になっていくといえましょう。
ちなみに、その「悟りの視点」をコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)では、「聖霊の視点」「真の知覚」「ヴィジョン」などと呼んでいます。
つまり、
意識が変われば世界が変わる、
心が変われば出来事が変わる、
というようなことはないということです。
真理、非二元、悟り、目覚めを探究している者たちにとって、もっと正確な表現をするならば、
意識が変われば世界の見方が変わる、
心が変われば出来事の捉え方が変わる、
といった言い方になるといえます。
世界が変わる、出来事が変わるわけではないということです。
私たちが学ばなければならないのは、世界や出来事を見ていくときに、まったく別のもう一つの見方があるということです。
そのもう一つの見方(捉え方)へとシフトすることをコースでは「知覚の訂正」と呼んでいるということです。
そして、そのように見ていくための訓練をコースでは「赦し」「奇跡」と呼んでいるのであり、それが私たちがしていくべき訓練なのだということです。