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もっとも偉大なる神の教師になることは偉大なる生徒になること


「自と他の共通の利害」を生きる

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びが深まっていくにつれて、コース学習者はやがて神の教師としてのプロセスを歩みはじめることになります。

つまり、「自と他の共通の利害」を生きるようになるということです。

それは、「知覚しているものすべてが自分自身である」「すべてが自分とは別々ではない」という認識になっていくことを意味します。

ようするに、「外側に世界は無い」「他者はいない」「すべてが自分の(心の)投影である」ということを自覚したところから生きるようになるということです。

そう、肉眼で見えているこの世界を、そのように見ていくための教室(レッスンの場)として捉えるようになります。

私たちはコースの学びを深化させていくことで、やがて神の教師としてそのような知覚の仕方、在り方になっていくということです。

さらにその先へと進歩した神の教師は、すべてを「愛の表現」もしくは「愛を求める呼びかけ」として知覚するようになるといえます。

そして、その知覚こそが、イエスや聖霊が知覚しているものであり、私たちコース学習者が最終的に修得すべき知覚であるということを覚えておくと良いでしょう。

ただ、理解しておくべきは、上記のように「愛の表現愛を求める呼びかけか」というふに知覚するようになるには、その前段階として「自我を咎めずに見る」という十分な訓練なしにはけっしてあり得ないということです。

そのことをわきまえてコースの実践を励んでいきましょう。


それは無限への探究である

神の教師としてのプロセスを歩んでいるコース実践者に対して、ワプニック博士は以下のような助言をしているとともに私たちに注意を促してくれています。

「実相世界にいるフリをしないでください。自我を持っていないフリをしないでください。もしそうなら、もはやコースなど必要ないはずです」と。

いわゆる、目覚めたフリ、悟ったフリ、覚者のフリをしないように、ということを忠告してくれているわけです。

コースをマスター(修得)したフリをして教師ぶるコースティーチャーもいるのだということです。

そうたやすく私たちがそのようなレベルに到達することなどできるものではないことを、ワプニック博士自身が一番分かっていたといえましょう。

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コースをもっと深く理解していきたい方へ。コースの学びが深まっていくとどうなっていくのか?というテーマで、もりG自身が体現した実録レポートとして、一般には公開できないDeepな話が書かれているコラム集です。

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