自我の次元と聖霊の次元は全く異なる次元である
赦しの視点とは、5次元意識の視点である
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)でいう「赦しの視点」とは、いったいどういうものなのでしょう?
それは、すべてを一つの自我として包含して(俯瞰して)見渡している視点だと言うことができます。
そこから見るならば、そのすべてが自我がでっち上げた劇場であるとして見ることができます。
いわゆる、それがコースでいう聖霊と共に見ている視点であり、そして、そこから見ている知覚のことを「赦しのまなざし」「愛のまなざし」と呼んでいるということです。
それは、まさに「悟りの視点」と言ってもいいでしょう。
その視点は、この世界(時空)の夢を垂直方向にもう一つ上昇した次元から見渡している視点なのだということです。
次元を上昇することによって、それまでの次元を俯瞰して見渡せるようになるわけです。
そして、その次元上昇のことをスピリチュアルでは「アセンション」と呼んでいるということです。
(ただし、私たちは垂直方向がどこにあるのか分かっていないこともあって、そのほとんどが水平方向の「アセンション」と勘違いしていると言うことができるでしょう。)
喩えて表現するなら、2次元平面で考えると分かりやすいといえます。
自分が同じ2次元平面上にいるならば見えなかったものが、その自分が3次元(垂直)方向にシフトすることによって、2次元平面のすべてが見渡せるようになります。
垂直方向へ次元シフトすることによって、それが可能となるわけです。
同様に、この世界(3次元宇宙物理空間)を理解しようとするならば、もう一つ上の次元へとシフトすればよいわけです。
ただし、私たちはその垂直方向がどこにあるのか?が分からない状態にあるのです。
私たちはその方向をすっかり忘れて、見失っているといえましょう。
そう、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)はその垂直方向を示してくれている霊性の道だと言うことができます。
二元性の世界を見渡している視点、それが「聖霊の視点」なわけです。
それは、3次元空間を見渡しているだけでなく、この世界(時空間)は過去から未来に流れているリニアな時間軸も含まれているので、過去から未来のすべてを見渡すことのできる次元だと言うことができます。
つまり、「聖霊の視点」とは、時間と空間を超えた視点、この時空の外側にある視点であるわけです。
それこそが、スピリチュアルで「いまここ」と呼んでいる場所です。
「ここ」とは、空間を超越した場所であり、「いま」とは時間を超越した場所です。
「いまここ」とは時空間(時間と空間)を超越した次元であるということでいえば、「5次元」と呼ばれている視点だといえます。
そして、そこから見ている視点(視座)のことを、スピリチュアルでは「5次元意識」という表現をしています。
コースでいえば、その「5次元意識」の場所こそが、赦しの視点/悟りの視点と呼んでいる場所なのだということです。
そう、スピリチュアリストやノンデュアリストたちが「目覚め」と呼んでいるものは、3次元意識から5次元意識へとシフトしていくことをそう呼んでいるのです。
3次元意識からでは、時空の世界の中に入り込んでいる状態になってしまっていて、そこがどんな世界なのか?理解することができません。
一方、5次元意識にシフトするならば、そこから見ているものは、
3次元宇宙物理時空間
=二元性の世界
=分離の世界
=自我の想念の世界
というふうに、それらを俯瞰して見渡せるし、もっといえば、劇場(ドラマ/映画)のように眺めることができるわけです。
そのすべてが虚偽(自我/幻想)だと見渡せる知覚へとシフトすることを、コースでは「奇跡」と呼んでいるということです。
ようするに、「自我を咎めずに見る」「聖霊と共に見る」とは、つまりは、「5次元意識から見る」ということなのだということです。
自我と共に見ている次元と、聖霊と共に見ている次元は、まったく異なる次元なのだということを覚えておきましょう。
なにせ、自我(二元性)全体を俯瞰して見渡している視点なわけですから。
二元性を超えるとはそういうことです。
そう、「聖霊と共に見る」「聖霊を教師とする」とは、つまり、悟りを生きるということであり、5次元意識を生きるということだということです。
そして、コースで実践している「赦し」とは、その訓練をしているのだということです。
それは、自我の思考体系から聖霊の思考体系へのシフトであり、3次元意識から5次元意識へのシフトを訓練しているのだということです。
要は、
コースの学びと実践を通して、私たちは何をしようとしているのか?
というなら、
3次元意識から5次元意識へのアセンション(次元上昇)を成し遂げようとしているのだと言うことができるでしょう。