土の時代から風の時代へ
それは去年(2020年)のことだったでしょうか。
「土の時代から風の時代へ」という言葉がスピリチュアル界隈で話題になっていたといえます。
「これからは物質主義の時代からスピリチュアルな時代へ移行していく」というようなことを謳っていたわけです。
それは、「時代が変わる!時代の変換期!だから、その時代の変化の流れに乗っかっていきましょう!」ということなのでしょう。
たしかに、目に見えている世界は変化していっているかのように見えます。
そして、スピリチュアリストたちはそんな時代の変化に、何かしら救いを求めたくなるものです。
次の時代は、きっと良き時代が来ますように、と願いたくなるものです。
こんどこそは、、、次は、、、きっと、いいことがある、、、と。
私たちはいつも同じことを繰り返しているだけなんだなと気づかされます。
私たちが知っておかなければならないのは、この世界というものはいつのときも時代と共に移り変わり行く、ということです。
そのことにちなんで思い出すのが、たしか2012年の頃にも「アセンション」という言葉が話題になって似たようなムーブメントがあったということです。
そのときも、「うお座の時代からみずがめ座の時代へ」というようなことを謳っていたわけです。
ようするに、この世界にいる私たち(自我)は、そのような二元性(自我)のストーリーが本当に好きなのだといえましょう。
コースの観点から見れば、土の時代から風の時代に変わろうが、うお座の時代からみずがめ座の時代へと移り変わろうが、一つの幻想からまた別の幻想に移行するだけのことでしかありません。
幻想は幻想でしかない、というのが真理です。
この世界では時代が移り変わっていくように見えても、形態を超えたところから見るならば、いつのときもその内容は何も変わらないということです。
コースの思考体系(正気の思考体系)と共にこの世界を見るならば、つまり、赦しの視点から見るならば、どんなに外側の世界が変わろうとも、やはり天国とは対極の世界(幻想)であるわけで、原初の瞬間の反映をただ反芻しているだけの幻想(虚偽)にしかすぎないわけです。
つまり、この世界はどこまでいっても、分離の夢をただ繰り返しているだけ、ということです。
(ただし、私たちはこの世界はただの幻想だというふうにはまったく気づいていません。)
時間の流れという観点から見ても、それがリニアに流れているかのように見えていますが、それも私たち(自我)がでっち上げた錯覚でしかありません。
本当は、この「いまここ」で、ただ同じことが繰り返されているだけです。
物質主義の時代であろうがスピリチュアル主義の時代であろうが、結局のところ、この世界は自我(狂気)の思考体系が作り出した影にしかすぎないということを忘れてはなりません。
コースの観点からみれば、この世界が土の時代から風の時代に変わろうが、そういうことは私たちの実践においては一切関係ないということです。
コース学習者である私たちにとって、そのように見ていくことが求められているのです。
なぜなら、聖霊/イエスから見えている知覚(視点)とはそういうものだからです。
そういうことについて、ワプニック博士は以下のように述べておられます。
コース学習者であるならば、そのことを忘れないようにしなければなりません。
時代が変わろうとも、コース学習者の私たちはこの世界の幻想から目覚めていくことを目指してコースを学んでいるのだということを肝に銘じて、この純粋非二元の霊性の道を歩んでいきましょう。
参考資料:JACIMサイト本館Q&A 【質問】No.51 「2012年について」
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