私たちは誰で?何をしているのか?
真実を理解/認識しないかぎり、けっしてその闘いが終わることはない
この世界で私たちは何を経験しているのか?
というなら、
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の観点からいえば、神のひとり子がある一つのストーリーを妄想し続けているだけなのだと言うことができます。
そのストーリーとは、神に闘いを挑み続ける、というストーリーです。
その「神との闘い」のストーリーをこの世界にさまざまな形態に投影して、私たちそれぞれがさまざまにそのストーリーを経験していると言うことができます。
ちなみに、コースでは「神との闘い」という言い方をしますが、闘っている相手とは誰なのか?というなら、実際には神のひとり子の自分しかいないわけで、その相手とは自分自身以外の誰でもないわけです。
本当は、ここには自分しかいないわけですが、ただ、私たちはその真実をまったく見失ってしまっています。
まったく無知な(狂った)状態になってしまっているといえます。
誰もが自分と闘っています。
誰もが自分の人生と闘っています。
そして、その闘いに疲れ果てた者たちが、非二元、悟り、目覚めへの道を探究し始めるのだといえます。
なぜなら、真の自己(真我)である神のひとり子の自分を完全に思い出さないかぎり、つまり、自分とは何者なのか?何をしているのか?を思い出さないかぎり、その闘いは終わらないからです。
そう、私たちコース学習者はその自分との闘いを終えて、もともとあった平安を思い出していくことを目指して、コースを学んでいるのだといえましょう。
知っておかなければならないのは、
この世界で私たちは何をしているのか?
それを経験している自分(たち)とは誰なのか?
その真実を理解/認識しないかぎり、けっしてその闘いが終わることはないということです。
その実践的な手段が、「赦し」なわけです。
私たちはその「赦し」について学んでいるのであり、その「赦し」を完全に修得するためにコース学習の道を歩んでいるのだということを肝に銘じておきましょう。