いつの時代でも「仕事との向き合い方」なんて誰も真剣に考えていない
※本記事を音声で聞き流したい方は以下からどうぞ。
あしだ(@ashidatetsuya)です。
2017年8月に会社員を辞め、2020年1月には一人ながら法人を設立、この記事を執筆している時点では3年以上が経過しました。
会社員時の幾多の経験、そしてコロナに襲われた数年を経て、私は「働くこと」についてまるっきり考え方は変わりました。
私は2019年は海外ノマドをしていましたが(2021年に復活)、コロナ禍とは「身動きを封じ込められた騒動」だったので、この間にあらゆる情報に触れたことが新たな考え方に多分に影響しているのでしょう。
そして2023年。日本も世界から遅れは目立ったものの、コロナ前の生活を取り戻してきましたが、改めて暗黒の数年を振り返ってみると、非常に重要なことに気づきました。
もちろん真剣に考えた人もいるでしょう。しかし、大半はきっとそんな発想にすらならなかったとさえ思うのです。
なぜ私はそう思うか、今回の記事では綴ってみます。
未曾有の危機を経てリモートワークやDXは定着したのか
答はNO。統計上の結果はともかく、それらにシフトできた企業はほんの一部でしょう。
それは東京の朝と夕方の満員電車が健在なこと、郵便・電話・FAXが劇的に減っていないことからもそう言わざるを得ないと思います。
ほとんどの企業はデジタルファーストの事業変革は起こさず、コロナを一時的なものとして、いつの間にか元に戻っています。
変わったのはマスクとアクリル板が標準化してしまったこと。
起きてマスクをつけて満員電車に揺られ、アクリル板だらけのオフィスで時間を過ごし、寝るまでマスクをはずせない「苦行生活」に何の疑問も持ちません。
アクリル板で区切られたオフィスの席上でZoom MTGをしていた会社もありました(Zoomの意味w)
東日本大震災でも「喉元すぎれば暑さ忘れる」を日本人は発揮していますが、今回もご期待通りです。
大半の企業が未曾有の危機を経ても合理的な改善が生み出されていない。
これを仕事との向き合い方を真剣に考えていないと言わずして何と言うのでしょうか。
お金を得たいなら働いてはいけない
コロナの初期には仮想通貨が暴騰しました。
それを見て「お金って何…?」と思った人も多かったでしょう。
私はこの時期にはクライアントワークを複数頑張っていましたが、コロナ襲来をきっかけに契約の見直しが入りました。
この時にスキルや労力とお金について、深く考える機会となりましたね。
仕事はお金をもらう唯一の手段ではない。いやお金を得るには最も効率が悪い方法とも言える。
私にとっては大きな気づきでした。
しかし、仕事はお金を得るための唯一もしくは大部分の手段だと考えている人は少なくないはずでしょう。
でもちょっと調べてみれば、これは大きな勘違いであることはすぐにわかります。
ここでは具体的なノウハウまでは深堀りしないですが、仕事をせずにお金を効率よく稼ぐ手段は複数存在します。
労働者は「社会人」「正社員」という言葉が好きです。
最低限の生活ではあるが、「社会人」「正社員」というラベルで社会的証明の価値を享受しているからです。
しかし、その反面ニートのような状態(一日ゴロゴロしスマホ触っているだけ)でも月100万円ぐらい稼いでいる人は普通にいますし、何なら増加する一方だったりします。
つまり「生活のために働かないといけない」というのは、完全に幻想なのです。
99%の社会人が勘違いしている仕事の本質
では、仕事とは一体何なのか。私は「自分の持っている機能を社会に提供すること」と定義します。
そして、「自分の持っている機能」というのは、自分の才能や情熱によってパフォーマンスが決まるのです。
そのパフォーマンスが便宜上、給料という形として返ってきます。
しかし、給料とは「生活に必要な金額を、会社が会社の独断と偏見による基準で定め、毎月支給するもの」であり、パフォーマンスとは全く比例するものではありません。
そもそも給料とは会社の独断と偏見による基準によって決められるので、国、社会、業界、会社、役職といろんなパラメータで区切っても、給料の金額は納得いくものにはならないものなのです。
これは経営者も例外ではありません。
例えば、かつてスティーヴ・ジョブズがAppleに復帰したとき、暫定CEOとして年間1ドルの報酬だったことは有名な話です。
私も経営者の端くれでですが、10億円の年商を生み出しても無報酬になることだってありえます(私の場合は株式100%私のものなので自分で決められるとはいえw)。
また、有名人のオンラインサロンには「お金を払って労働する」という形さえ存在しています。
投資家の場合は、差し出すお金に労働させているとも言えます。
ちょっと話がずれましたが、このように労働とその対価の要因は単純なものではないのです。
世の中にはゴミのような仕事も溢れている
こういった現実を考えると、自分の時間を差し出すいわゆる「労働」が不毛であれば、1秒でも早くやめるべきなのです。
実際、「ブルシット・ジョブ」という言葉が広まり、今までは普通だと思っていた仕事が、コロナによってまったく必要とされていない仕事であることがどんどん明るみになっています。
みずほ銀行やリクルートをはじめ、コロナ禍で週3日勤務を制度化した企業も出始めました。
またAI活用の流れも加速しており、綺麗事抜きにして多くの人の仕事はAIに奪われるはずでしょう。
でも、AIに奪われる未来が待ち構えている仕事なんて、早いうちに降りたほうがいいし、別に無理して仕事をする必要もないと思いませんか。
遊びながら生きていく時代が来た!
というような言葉は、これまで反発が生まれやすかったです。
しかしながら、脳科学の観点では「仕事が遊びで、遊びが仕事」というのは、全く理にかなっていると私は思います。
脳の扁桃核が「快」になっているときに、ハイパフォーマンスになるからです。
「自分の持っている機能を社会に提供すること」が仕事で、ハイパフォーマンスが求められるなら、少しでも潜在的にイヤイヤやっていると「全く逆の結果となる」はずです。
正直言って、私が会社員のときは「イヤイヤやっている」の連続でした。仕事や会社が嫌いだったし、会社も会社の人も私のことが嫌いだったことは想像つきます。
しかし、それを一切辞めてからはこの流れが一変しました。
自分で仕事を選ぶようにし、海外ノマドとして旅をしながら仕事をしていたときは、アイデアもガンガン生まれ、結果もガンガン出たのです。
失われた時間は返ってこない
人間は環境にも大きく人生観が影響されます。
そして不毛な時間が過ぎても、その時間を取り戻すことはできません。
ここまで読んでいただいた方は察しが付くかと思いますが、「ライスワーク」に囚われているのは不毛と言うより、世の中の仕組みについて勉強不足の状態と言えます。
ロバート・キヨサキの「キャッシュフロー・クワドラント」、トマ・ピゲティの「21世紀の資本」などを読むことをおすすめします。
もしくは「入り口」は本の要約動画でも良いかと思います。
誰もが羨む大企業勤めで収入に恵まれていた叔父さんがコロナ禍で孤独死していた
最後に、昨年にバブル世代の私の従兄弟の叔父さんが「人知れず死んでいた」という衝撃のエピソードを付け加えておきます。
日本がバブルに湧く最中、その人は誰でも知っている大学の理工学部を卒業後、大手電機メーカーに就職して年収800万円以上をもらっていました。
しかし「給料が安いから」ということで、別のメーカーに転職しました。
しかし、転職したメーカーがバブル崩壊やデジタル化社会への変革に伴い、大幅に事業内容を転換したので、あえなくリストラ。
すでに年齢は中年もいいところで、大手企業社員にありがちな「よそでは通じないスキル」しか持っていなかったことで、転職には1年以上の歳月を要したとのことでした。
もちろん年収はダウンは免れなかったでしょうね。
内情までは私はあまり良く知る由もないけれど、その人は子供二人がいて、持ち家でよく引っ越しをしていたので、家庭の財務状況は火の車だったことも想像にも難くありません。
最期は、奥さんや子供とは別居状態で孤独死だったとのことです。
残念ながら叔父さんも「仕事との向き合い方なんて真剣に考えていなかった」一人でした。
私は叔父さんの死をムダにしないためにも反面教師とすることにします。
自分で稼ぐのが最も仕事と向き合える
情熱もって会社で働き、会社から真っ当に評価される人たちが世の中の大半になればいいとは思いますが、あらゆる面から考えてそれは夢物語でしょう。
だから私はアテもなく自分で稼ぐ道を選びました。自分で稼ぐことを決意した経緯はまた別の機会に譲りますが、私には最も仕事と向き合える手段だったと自負をしています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。感想を頂けましたらRTさせて頂きます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?