自分が幸せになるとは→不幸の根源である「自己愛着」を断ち切ること→そのためには他者に対する大きな慈悲の心を育む→自分が仏陀の境地を得て一切のものをすくう存在になる。
自分が仏陀の境地を得るまでの道筋は宗派によって異なるが、そこに至るまでのプロセス(菩提心を起こす)は大乗仏教のどの宗派でも共通なのだろうか?真宗はちょっと違うのかもしれないけど…
以下
「チベット密教修行の設計図」(齋藤保高先生)よりまとめました。
幸せとは不幸の根源である自己愛着を断ち切ること。自己愛着は自分自身が何よりも大切なため、自分、自分の所有物、自分の側に属するものに、執着、欲望、過度の期待を生じること。
自らの生きる意味は「幸せを実現すること」にある。しかし目指すべき「幸せ」を自己の上に設定している限り、自己愛着から煩悩とくるしみを拡大再生産する悪循環に陥ってしまい本当の幸せは実現できない。
そのため他者の上に設定しなくてはならない。
それは一切衆生(生きとし生けるもの、自分が嫌いな人や無関係の人も含まれる)の幸せを実現することになる。
他者にとっての本当の幸せとは最終的に他者を正しく導いて、自己愛着と苦しみの悪循環を断ち切ること。
他者を究極的に救うのは「仏陀」と言う理想の境地を得たものだけなので、自分の生きる意味を、他者の幸せの上に設定する以上、自分自身が仏陀の境地を得なければならない。