Ippei 僧侶、ミュージシャン、派遣社員

ミュージシャン、浄土真宗僧侶、派遣社員などなど。日々の生活を安心し、楽しく過ごせる様な気持ちになれるコツをお伝えできればと思います。 最近50歳にして第一子が産まれ子育てはじめました。 https://www.instagram.com/ippei128

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無題

イトーヨーカドー津田沼店の閉店に際し寄せられた文章が非常に沁みる。 思えば俺も何者でも無いおっさんになり白髪が増え、体もガタガタだ。 ミュージシャンで住職で契約社員。 華やかな世界と、厳かな世界、そして夢を追うものたちや家庭を守るお母さんの中で働く。 肩書は多いが、なるべく責任を回避して創作活動だけをしていたいと若い頃から思っていた故の苦肉の策でもあった。 全てが中途半端で50になっても落ち着く事もなく不安定な環境に気が狂う事もなく、よくここまで生きて来れたと思う。 思

    • タグを外せ

      人は産まれてから、家庭環境、友人関係、コンプレックス、いじめ、慢心、称賛などあらゆる縁によってまっさらな自分と向かい合うことが難しくなります。 自分はこういう傾向だとか、こういう人種だ、こういうカテゴリーの人だとタグをつけていき、大まかな分類に分けて正面から自分を見られなくなります。 そしてそのカテゴライズに安心する様になるのです。 しかし、その様なものは仮のものであり、条件が変われば看板はどんどん変わっていきます。 そしてその変化に翻弄されて行くのです。 本当の自分と向

      • 困難を乗り越える為に必要な事

        自分に何か困難が立ちはだかった時に、自分に原因があると考えられる人がどれだけいるだろうか? 例えば仕事が上手くいかない、体調が悪い時とか 周りのメンバーが仕事ができないせいだ、俺の足を引っ張っているとか 天候が悪いし、仕事のストレスが溜まっているからだ 自分はこんなに頑張っているのに、と思っていませんか? 実はそうなっているのは周りのせいではなく、自分が選択した環境や物事の受け取り方に原因があります。 外に原因を求めるのではなく自分の内面に原因を求めて向き合うので

        • 自分を知る為に必要な事

          自由に生きる為に自分を解放するには、自分の立ち位置を知る必要があります。 その為にはある程度の情報インプットをする必要があります。 SNSなどで他人の記事を読んだり、人から直接話を聞いたりしても良いでしょう。 その中でも、具体的に何をしたら良いとかこう言う生活をした方が良いなどの答えが書いてある内容より、私はこんなに苦しい目に遭ってこんなに苦悩しているなどの体験談を読んで下さい。 そして、なぜこの人は苦悩しているのか、どの様な環境で育ってこう言う性格になったのか、具体的に

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        • 安心なココロ
          23本

        記事

          うんち

          息子生後2ヶ月 うんちが出ず、この世の終わりかの様な雄叫びを上げ、身体を捻り、顔を真っ赤にする。 こうやって一つ一つの行動を覚えていくのかと感心し、 排泄行動に全力を注ぐ息子に見ている。 思えば最近こんなに一つの行動に注力した事があるかと反省している。 今日も子供に色々教えられている うんちはまだ出ない

          価値観なんて変わる物

          移民が増えて考えられることをふと思いつきました。 今まで日本は「お客様は神様」という考えでお客様相手の商売はよっぽどのことでない限り客の暴言も我慢して謝って来ました。 しかし違う文化の方々が入ってくると違う価値観が増えて来ます。 今のところはコンビニで働いている外国人の方は、日本の文化を尊重して経営者の指導の元、日本人と同じように接客していますが、移民としてたくさんの方が日本に来た時、例えば暴言を吐く客に対してはっきり断るとか、謝らないとかそういう対応も出てくるかもしれません

          吐き出そう

          日本人はとにかく強調性が大事、空気を読む、長いものに巻かれるなどとにかく主張をしない事が上手く生きる術の様に思わされている。 主張をすればわがまま、癖が強い、面倒な奴と言われがちである。 アウトプットが本当に出来にくい風潮の中、点滴を打っているかの様に世の中に溢れる情報をどんどんインプットされる。 ミュージシャンや役者、芸術家などはまだアウトプットの手段があるけど、サラリーマンや主婦で趣味がなくアウトプットの仕方もわからなければ病気になるかゲーム、ギャンブル、酒に依存する

          死が身近になる時代

          もしこの先、日本が貧困で日々を生き抜くことが大変になったり、強盗や窃盗などの犯罪に巻き込まれることが増えた場合、死と言うものが今より身近なものになると思う 浄土真宗的に言えば、後生の一大事を強く感じるような時代になるのではないだろうか 鎌倉時代や戦国時代は寿命も短く戦争があり、今よりも死ぬということが近い存在だったのだと思う だからこそ、死を超越する宗教と言うものが深く信仰されたのではないかと思う もしこの先、日本が貧困で治安の悪い国になったとしたら、宗教は今までの葬式仏教

          自分と向き合う

          結局大事なのはありのままの自分とどれだけ向き合えるかって事で、そこを見ないでカテゴリーに自分を嵌め込む事では解決しないって事なんだな。 自分をありのままに見るって汚くてみたくない自分も受け入れなきゃ行けないから簡単じゃ無いけどそれが自分でそれ以外ないんだよね。

          自分の中に明確な枠を持ってる人がいる ポリシーだったり信仰だったり、生き方、人種など その中にいることに安心して枠の外にいる人を蔑んだり、攻撃したりする人は好きになれないな そもそも枠なんてものは当てにならないし、疑ってみるもんだと思ってる 常に不安定で良い なかなかできるもんではないけど

          選択する権利

          僕にとっての自由とは選択する権利です。 その世界は宇宙の様であり、物凄い可能性を秘めています。 例えばやりたくないことはやらないとか、したくない事はしない。 そういう選択する自由を犯して、強制されたり権利を脅かすものには抵抗し、抗議の表現をします。 僕がやっている音楽はその様なものが多く、扱いがめんどくさいとかクセが強すぎると思われる事もあります。 レベルミュージックは抵抗の音楽と言われますが、権利を脅かすものには抵抗し、自由を求めているだけなのだと思います。 しがら

          形容詞のつかない自分

          自己肯定感という言葉が非常に多く叫ばれる世の中は裏を返せば、多くの人がたくさんの不安を抱えている時代なのだと思う。 人間の本質は昔から変わっていないが、新しい時代の価値観が自分と言うものを揺さぶって多くの安心の言葉を求めさせるのだと思う。 そもそもそんな自分とはどう言うものなのか? イケてる自分、ずるい自分、可愛く無い自分等々、自分を言葉で表す際に必ず自分のバイアスがかかっている 向かい合うべきありのままの自分とは「形容詞のつかない自分」のこと 言語で表した時点でそれはあ

          自己愛着

          自分が幸せになるとは→不幸の根源である「自己愛着」を断ち切ること→そのためには他者に対する大きな慈悲の心を育む→自分が仏陀の境地を得て一切のものをすくう存在になる。 自分が仏陀の境地を得るまでの道筋は宗派によって異なるが、そこに至るまでのプロセス(菩提心を起こす)は大乗仏教のどの宗派でも共通なのだろうか?真宗はちょっと違うのかもしれないけど… 以下 「チベット密教修行の設計図」(齋藤保高先生)よりまとめました。 幸せとは不幸の根源である自己愛着を断ち切ること。自己愛着は

          カテゴライズ

          自分をカテゴライズしたり自分はこうだと決めつける事って自分を苦しめるだけなのだ。 自分は人とは違うんだって拘るのもエゴ。 型にハマってる方がなんだか自分をラベリングできて安心する気がするけど、それはただの誤魔化しでしかない。 自分がこうなりたい、こうしたいと言うのは自分のエゴ、煩悩であるけれどもそこから逃れられないのが人間である。 仏さんの前では自分は煩悩だらけで地獄行きの身であることを知らされ、だからこそ私にお念仏が届いているのである。 何者でもないままご縁のままに生

          自由とは

          僕は出来る限り自由に生きたいと思っているが自由に生きるとは一体どういう事なのだろう? 僕は自由とは自分に選択肢がある事、そしてそれを自分で選択できる事だと思っている。 そして自分が選択しておきた結果は必ず自分に責任があるということ。 もちろんアドリブが苦手だったり決められたことを確実に熟すことの方が得意とする人もいる。 しかし、その生き方で充実した生活を送れる人は自分の特性を把握し、自分に一番あっている生き方を選択しているのだと思う。そしてそれも自由の形だと思う。 行き

          法友との話

          この前札幌で法友と話していて思った。 生き方に迷って情報に惑わされて足掻いて、他人と比べて自分の外を探してもそこには迷う材料しかない。 答えは自分の中にしか無くて、今の自分をありのまま受け入れる準備ができているか、それだけで良い。 そしてそれをそのまま受け入れてくれる存在がある。 それが安心。 今は賢く生きるとか幸せになるテクニックみたいなものばかりが世の中に蔓延っていて、みんな我が物顔でそれをひけらかしていいる。 そのままで良くて、それを共有できる仲間がいる事はとても喜