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「普通」じゃないと幸せになれないのか

皆さんはマジョリティに溶け込めていますか。仲間外れにされ、傷つけられた経験はありますか。
私の答えは「溶け込めていない」「傷つけられた経験がある」です。物心ついた頃から家庭や学校、関わる大人と子供たちに馴染めたことは一度もありません。ホンモノの欠陥人間です。
私の認知はひどく歪んでいます。誰一人として心を開いていないし、自分を含めて全ての人間は敵だと思っています。こんなこと、匿名のインターネットでしか言えませんね。

普通になれなかった経緯
人間としての立ち振る舞いを、家族は教えてくれなかった。幼い私は、どのように人間を形成していくのかわからないまま大人になった。おおらかな気質も裏目に出て、他人から何かを吸収しようとするようなこともしなかったと思う。

学校では特定の同級生から嫌がらせをされ続け、暴力と暴言を浴びせ続けられてつきまとわれ続けた。先生は見て見ぬふりをしていた。そのせいで、仲の良かった幼馴染は離れていった。つきまとってくる同級生からは家の者を盗まれたり、商店からの窃盗を指示されたり、住んでいる家を燃やされかけた。そこまでされても、家族は私を守ってくれなかった。相手の親が話の通じないモンスターペアレントであったから、話し合いを放棄して、私をスケープゴートにすることで安寧を享受していた。そのことで泣くと祖母は激しく私を叱りつけた。祖母は働いていなかったから、シングルマザーで働く母の収入だけが頼りだったから、母が働くことに専念できるようにしたかったのだろう。祖母は近所の優等生と私を比較して、私をこき下ろすことが好きだった。祖母の人格を知っているくせに、私を置き去りにして働きに行く母が許せなかった。

母は私に「教育」をしたことがない。本人曰く、「のびのびと育てたかった」と言っているが、ネグレクトと何ら変わりがない。そのくせ、様々な選択肢を私に与えて困らせた。鬱陶しかった。今でも覚えているのが、ベネッセの訪問営業が来たときに「やるのかやらないのか自分の口で言いなさい」と言われ、非常に困った。強面のおじさんに「やるよね」と圧をかけられている状況で、10歳にも満たない女の子が「やらない」なんて言えるものか。少なくとも、私は周囲の空気を読むタイプの大人しい性格であったため、「やる」と答えてしまった。契約後、「お前のせいで月々の支払いがきつい」と文句を言われ続けていて、勉強が楽しくなくなっていった。

話の通じない情緒不安定な家族のもとに生まれ、学校でも先生と同級生とうまくいかず、人間のすべてが嫌いになった。そして、中学生、高校生でもやはりいじめのターゲットになった。高校時代は、階段から突き落とされた。そのことを先生に相談したらなぜか鼻で笑われて私が悪いと怒られた。不登校になった。小学校から高校まで、毎日ずっと咳が出て下痢をしていた。お腹が痛くて脂汗が抑えられず、授業に集中できたことはなかった。時には帯状疱疹も出た。我ながら、すさまじいストレスを耐え抜いていたのだと思う。それに加えて、今思えばうつ病や不眠症、統合失調症のような症状(壁の模様が虫に見えてそれが自分に襲い掛かってくるという幻覚を見る、壁に向かって話す等)、その他にも理性のある人間としてあり得ないような行動もたくさん起こした。しかし、家族は帯状疱疹の時以外は病院に連れて行ってくれなかった。住んでいた家は、害虫とネズミまみれの不衛生な家で、シャワーも水洗式トイレもなかった。風呂ではアシダカグモが害虫を食べているし、トイレでは用を足しているときに害虫が足に登ってきた。部屋に戻れば害虫とネズミが待っている。リラックスという概念を知らず、常に緊張していた。今思えば、あの環境で生き延びられたこと自体が奇跡だと思う。

なんとか大学に進学し、上京した。鬱陶しい家族から離れ、清潔な家を借りることができて、心理的な負担がかなり軽くなった。相変わらず友人はできなかったが、体の不調がほぼなくなり、勉強に集中できた。特待生になれた。しかし、一方で潔癖症になり、毎日手が擦り切れるくらい洗っていた。それでも、毎日それなりに充実していた。

人間とのかかわり方がわからないまま大人になった。経験値もなく、地盤がスカスカだから、人間関係は壊滅的だった。新卒で就職したところでパワハラとセクハラに遭い、本格的にうつ病になった。現在は悪化して双極性障害を患っている。

現在の状況と改善点
今年に入ってカウンセリングに行った。そこで、私は初めて「自分の家族が異常」であること、「自分は家族が大嫌いなこと」に気が付いた。今までは、「こんなダメな私を見捨てないで世話を焼いてくれている大切な家族」だと思っていた。これに気付けたことは、とても大きな成果だと思う。今は大嫌いな祖母も亡くなり、母からの連絡は目を通すだけで放置するようになった。このままフェードアウトできればいいと思う。

友人は片手でおさまるくらいできたが、ほとんど交流をしない。他人にあまり興味がなく、ほかに友好関係を広げることもない。
今後の改善点は、次のとおりである。私は、自分と相手との線引きが曖昧で、他人との距離の詰め方がおかしかった。言葉を受け流すことを知らず、引っかかった言葉すべてに怒っていた。そういった要素が、さらに私を他人から遠ざけた。普通を目指すためには、少しずつ他人を観察して「普通」にすり合わせていくほかない。気の遠くなるような地道な作業である。

本当のことを言えば、私は他人と極力関わりたくない。私は他人に夢を見て、期待してしまう。きっと、自分の内側にいる子供が、過去に得られなかった安心と愛情を求めて暴れてしまうからだ。
私は、悲しくなるので比較や分析を徹底的に避けてきた。だが、いざ現実に目を向けてみると、同年代の他人は幸せをたくさん掴んでいて成功しているのに、私には病気しか残っていないことに気付いた。

他人と比較したとき、「普通」の範囲内におさまらなければ、幸せにはなれないのだろうか。そもそも、私にとっての幸せとは何だろうか。noteを執筆しながら、自分を満たせる方法がないか探していけたらいいなと思う。

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