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書を捨てろ、カレンダーを買え。

たしか去年の春頃はとても息がしづらくて、本屋さんでとても安くなっていた壁掛けカレンダーをなんとなく買った。

私の家は賃貸なので穴を開けずにカレンダーを貼り付けられるシールの様なものも買って帰り、さっそく飾った。買ったばかりのカレンダーを3枚ほどめくったら可愛らしいトイプードルが二匹、こちらに笑いかけていて、とても癒された気がしたと思う。それからスマートフォンのカレンダーと照らし合わせて知りうる限りの友人の誕生日を書き込んだ。万年筆は縦にして書くのに適していなかったし、家族のは書き込まなかった。

毎年春から夏にかけての間は特に気分が落ち込む時期なのだけれど去年は特に酷く(年々酷くなっている)ぼんやりとした飢餓感と焦燥に似た寂寞に首を締められている様な日々だったように思う。noteを書いている時だけ、新しい事をしている時だけ、なんとなく存在を許されているような。そんな感覚だった。

人間性だけではなく生活習慣が終わっている私は友人と「死因トトカルチョ」なるものをしていて、内容は私が何の内臓を病んで死ぬか。当てた者は生命保険総取り。という激アツな物だ。不謹慎にも程がある。最近便が緑がかっているのは多分モラルも一緒に出てるからなのだろう。良識はきっと目に優しい色をしているだろうし。


いつだったか、死因トトカルチョなんて物をしている私が死ぬ事に失敗した夜。家に帰った私は酷く息苦しくて堪らなくなった。自己嫌悪が喉の奥につっかえて、気道を狭めているような。両手の指先には絶えず蟻が這い上がってくるような感覚が、そんな気がしていた。

肩で息をしながら私は床に落ちたカレンダーを見て、ある事を思いついた。我ながらいい考えだと思った。

12月29日 首を吊る。

そう書き込んだら不思議と息がしやすくなった。何故なのかはわからないがこの日まで生きているのも悪くはないかな、と思ったのだ。あの時の私は。たった4文字書き込むだけで息がしやすくなるなどとは自分の事ながら随分と簡単な脳みそをしている。7月のカレンダーは小さな芝犬が2匹芝生に寝転がっていた。多分。


今年もカレンダーを買った。1月はジャンボジェットが飛んでいる写真だった。(多分ボーイング767かな)少しだけ、ほんの少しだけワクワクした。





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