ロンドン・ユースカルチャーを辿るひとり旅
ああ、あこがれの都市、ロンドン。
はじめて個人で作ったゲームはロンドンを舞台にしたものだった。
戦後イギリスのユースカルチャーをモチーフにしたもので、1959年郊外のエースカフェ、1964年ソーホーのカーナビーストリート、1977年チェルシーのキングスロードとロンドンのストリートが舞台だった。
それぞれ、ロッカーズ、モッズ、パンクが流行った街であり、いつかこの目で見てみたいと強い憧れを持っていた。
そして今回作っている新しいゲームもロンドンが舞台。
19世紀、ヴィクトリアの建築やインテリアを自由に構築してもらうことをコンセプトに、ゴシックな物語を辿る……
ロンドンには今も、19世紀どころかもっと昔の建築物が残り普通にそこで生活が営まれているという。鉄筋コンクリートの建物で暮らすわたしには、なんとも想像しがたいものだった。
そんな折、転職を機に1ヶ月程度の休暇ができた。
長年勤めた職場離れることで、まとまった金額も手に入ることとなったことだしこれは……行くっきゃない!!!
憧れの!!!ロンドンに!!!!!
そんなわけでやって来ましたイギリスの首都、ロンドン。
日本からロンドンへは従来12時間でいけるはずが、格安航空券のため香港経由&戦争の影響でロシア上空が通れないというコンボで合計20時間かけて行くことに。
子午線に向かって飛ぶと時間は逆行し、陽が沈んでから飛び立った飛行機では永遠に太陽は沈みっぱなしだった。次に朝焼けを見たのは、イングランドの国際口、ヒースロー空港が見えたのと同時だった。
2月末から3月はじめの1週間、日本では三寒四温でもロンドンはまだまだ真冬で、人々はノースフェイスなどのガチめスポーツウェア系ダウンコートを着込んでいた。
そんな人々が歩いているのは、レンガ造りの建物が立ち並ぶ、おとぎ話みたいな美しい街だった……夢でも見ているのかと思った。こんな光景が、どこまでも続いているなんて!!
ここはヨーロッパの連合王国、東洋から来たわたしは完全に異邦人。たった独りで行きましょう、治安よりも気候と食事に悩まされた、美しい景色を辿る独り旅!
ユースカルチャーを巡る旅
先述の通りロンドンに憧れた理由は、ロックの発信源だからだった。
1950年代のおわりから60年代、高度経済成長とベビーブームがもたらした豊かさにより、当時の若者は最新のおしゃれと音楽を楽しみました。
また、その後訪れた不景気な時代には若者の不満を表すような攻撃的なファッションや音楽が流行りました。
それらは様々なファッションアイテムやメイク、音楽の礎となって今でも残っている……
そんな若者が当時集まった街角や、そのキッカケとなった映画の撮影地……はじめて作ったゲームに登場させた街角を、是非ともこの目で見たい!!今回は3か所をピックアップし、少しずつ訪ねていくことにした。
チェルシー・キングスロード『ワールズ・エンド』
早朝、逆さまに回る時計を見にいった。
1970年代、西ロンドンのチェルシー地区、キングスロードに1軒のお店が建ちました。そのお店は何回か名前を変えたのち、UKパンクの発信地として有名になりました。
80年代になると2人のデザイナーは決別し、その内のひとり、ヴィヴィアン・ウエストウッドは自分の名前を題したブランドをはじめます……
女の子みんな大好き、ヴィヴィアン・ウエストウッドはじまりの地としても
UKパンクのはじまりの地としても有名な、キングスロードのどん詰まり、ワールズエンドを見にいこう!
ワールズエンドは名前の通り辺鄙なところにございまして、各駅から行くのはちと大変。今回はバスに乗っていきます。
そう……ロンドンといえば、あの真っ赤な二階建てバス、ダブルデッカー!
乗車にはオイスターカードという、SuicaみたいなICカードが必要です。
ピッとやって乗って、目的地に着いたらそのまま降ります。時間帯は早朝、ちょうど通勤・通学時間で、学生服来た子供たちと一緒にフラムからチェルシーへ移動。
バス停には英語で『チェルシーホームゲームの日は動かないからね!』と書いてあって、サッカー熱の片鱗を見ました。公共交通機関が止まるレベルなんだ……
バス停を降りて少し歩くと、逆さまに回る時計はすぐに現れました。
開店時間10時なのに8時に来たせいで開いてない。
ゆっくり店舗を眺めたかったのと、立地的に観光の最初に行くか最後に行くかしか出来ないから、体力が有り余ってる最初に行こうと思っていたので良いんですけども。西ロンドンの優雅な朝に溶け込んだその建物は、同じく優雅で一見、荒々しいパンクとは無関係にも思えます。
しかし、よく中を見てみればシャンデリアは煌々と灯る内刺々しいお洋服が立ち並んでいるし、13まで刻まれた時計が逆さまに回っているのもなんだか不気味。アリスのような、ゴシックのような……
壁の側面にはこの場でお店をはじめた2人のデザイナー、今は亡きヴィヴィアン・ウエストウッドとマルコム・マクラーレンのグラフィック・アートが描かれてました。サインから察するに、この2つの絵は別々のアーティストが描いたものみたいですね。
いつから描いてあるんだろう……って思ってストリートビューを見たら、2022年8月時点ではまだなかった。ヴィヴィアン・ウエストウッドの悲報を受けて描かれたものなんだろうか。
ワールズエンドからちょっと行った先には何の変哲もないベンチがあるが……これは映画『けいおん!』のポスタービジュアル背景のモデルと言われているベンチである。
放課後ティータイムの面々も、きっとUKロックの重要スポットであるワールズエンドを見に来たのですね。
さぁ、世界の果て、ワールズエンドからキングスロードを通って駅まで行こう。駅まではおおよそ20分、そこそこの距離である。
1970年代にはこの店を中心にパンクスたちが集まり、キングスロードはカウンターカルチャーの発信地だったと言うけれど、今は端正なショッピング・ストリートという面持ち。
特に平日の朝ともなると、犬を散歩する人、通勤・通学中の市民の皆さんとのどかな光景が繰り広げられており、カウンターカルチャーのアナーキーな空気などみじんも感じなかった。
元々は王様のための私的道路だったという由緒あるロイヤルな道は、時代の中で荒れ、カウンターカルチャーが蔓延っても、今現在は高級住宅街としての色を濃くしていた。
20分ほど歩くとスローン・スクエアにたどり着いた。地下鉄の駅もすぐそこだ。
美しい噴水、造花で彩られたベンチ……優雅な街を尻目に、次に行くことにした。
ソーホー・カーナビーストリート
ソーホーはロンドンの中央、シティ・オブ・ウィンチェスターに位置する地区である。
ロンドンきっての繁華街、ピカデリーサーカスから伸びる、オックスフォード・ストリートやリージェント・ストリートに挟まれた場所に若者が集まる通りカーナビー・ストリートがある。
言わばピカデリーサーカスは渋谷のスクランブル交差点
オックスフォード・ストリートは青山通り
リージェント・ストリートは表参道
そしてカーナビー・ストリートは竹下通り
ってとこで、とにかくロンドンで一番栄えているところだと思ってもらえれば……
戦後60年代、高度経済成長とベビーブームで増えた子供たちがハイティーンになる頃には、カーナビーストリートは若者たちの文化の発信源として栄えました。
マリー・クワントなどの後に有名ブランドとなるデザイナーが店を出し、当時の流行だったモッズやヒッピーたちが集まってきたのでした。
土日には買い物客でごった返すカーナビーストリートも、平日の昼間となると空いていますね。
60年代のユースカルチャーに揺れた小さな路地は電飾で装飾され、様々なおしゃれ店が立ち並んでいました。
さすがにマリー・クワントの1号店『BAZAAR』は残ってないけど、ドクターマーチンの路面店やローリング・ストーンズのアイテムを扱う店などはあった。
でも、なんだか物足りない……
写真を撮りやすいように、と平日に回ってるけれどやはり若者が集まってなければ、ストリートは眠っている気がする……
唯一、ガチ目のパンク・ファッションに身を包んだ若いカップルが歩いていくのを見た時は、テンションがかなり上がった。
やはり竹下通りにはゴシック・アンド・ロリータが
カーナビーストリートにはパンクやモッズがいて欲しいんだよな……
おしゃれ通りに挟まれたおしゃれストリートなカーナビー・ストリートですけども最初からそうだったわけではなく、始まりは同性愛者のためのキッチュなブティックが新しいファッションとなって、やがて世紀のファッション・ストリートとなっていったのですね。
現在、男性だって赤や黄色、ピンクに鮮やかなブルーと様々な色を身につけるのは当たり前なわけですが、60年代後半にピーコック革命が起こるまではグレートーンで統一するのが当たり前でした。明るい色を身につける男性は“オカマ”だけだったわけですね。
それが、今や当たり前になっている。色彩ひとつとっても新しいファッションがここから始まったことがわかります。
さらに遡るとソーホー地区は19世紀に井戸がコレラ菌の温床となってしまったため、ロンドン中央に位置しながら上流・中流層が流出していき、代わりに無頼漢たちが居着きました。
そんな場所だったから同性愛者コミュニティも存在し、そして彼ら向けのブティックが建ったわけです。
永らく歓楽街として荒れていたソーホー地区でしたが、若者文化の発信源として注目されてからは高級化(ジェントリフィケーション)が進んで性産業は姿を消し、おしゃれ地区となっていきました。
性産業があったから新しいファッションストリートが生まれたけれど、ファッションストリートとして有名になったから性産業はいられなくなった。
どんなオシャレ通りだろうと歴史あり。
初めからオシャレだったわけじゃない、そこにはむしろ魅力的な闇の世界があったのですね。
ブライトン〜セブンシスターズ
では最後はいっちょロンドンから離れて別の街に行こう。
そこはモッズの金字塔映画『さらば青春の光』のオープニングとラストシーンで映された街。
イングランド南海岸に位置する街、ブライトン!
ロンドンからブライトンへは列車で1時間ほど。
地下鉄(underground TUBE)が東京メトロなら、
列車はJRってとこですな。
本来は乗り換えなしで行けるはずが、格安切符にしたところ乗り換えが発生し、そして失敗し、むちゃくちゃ焦ったがなんとかリカバリーした。
東京ダンジョン攻略者を舐めるなよ。
ほうぼうのていでブライトンに到着。駅がすでに美しいですね。
このブライトンの街はサッカーが有名ですが(三笘薫選手もいるし)、日本学生の留学先としても人気だとか。
ロンドンへ1時間へ行けて、海もあって、栄えている。
もっと田舎の寂れた街を想像してましたがとんでもない。むちゃくちゃデカい。横浜、って感じの街かな……
このブライトンの街も『さらば青春の光』のロケ地として重要ですが、とりあえずここからさらに移動します。
バスに乗って1時間……海を見つめ……
2つ3つほど素朴な街を超えていって…………
景色はどんどん街から離れて自然の中を通り、
そしてたどり着いたこちらの丘。
バスや列車の車窓から見てても思ったけど、イギリスはともかく丘が多い。村や町でなければそこは丘。
芝生がコレだけ多ければ、テニスやゴルフ、サッカーが盛んになるのもうなづける。どんな街も郊外なら少し進めば必ずサッカーコートを見てとれた。
とは言え……こんな360度見渡す限り広大な丘というのも、生きてて今まで立ったことがない。
季節は真冬、トレッキングには時期はずれで冷たい北風が吹き抜ける。
荒涼とした大地を一歩一歩歩いていく、目的地は30分歩いた先だ。
わたしは『さらば青春の光』のロケ現場を見に行こうとしているのに、気分はまるでRPGのフィールド探索だった。
豊かな自然、瑞々しい広陵。そこを飛び交う鳥たち。今すぐに、妖精が出てきたって何も驚かない。泉から女神が出てきても……未知の魔物が躍り出ても……
イギリスに伝わる数々の伝承やおとぎ話が、なぜ生まれたのかを肌で感じた。
30分歩いた先には海岸があった。
茶色い玉砂利の海岸は、日本ではまず目にすることはない。
それより目を引くのは遠く、白亜の絶壁をもつ崖である。
そう、目的はこれだった!!
白亜の壁を持つ美しい丘『セブンシスターズ』……
『さらば青春の光』のラスト、友人に裏切られ恋人は去り憧れのエースも一介の社会人に過ぎないと思い知った主人公は、モッズの命であるベスパと共にこの崖から身を投げる…………
しかし、ラストシーンに映っているのは落ちていくベスパのみで、主人公の行方はハッキリとは知れない。今の一般的な見方では、主人公は身を投げるすんでのところで逃げ出してベスパのみが砕け散り、イケてなくとも死ぬことも出来ずに生き続けなければならない、と歩いて海岸へ降りる……
オープニング、日が傾いたブライトンの海辺を歩く主人公は、実はラストシーンからのカットなのではないかと言われています。
しかし、実際に白亜の崖を前にすると……一介の少年の青春の終わりがなんだっていうんでしょう。
この場所は古来よりここにあって、数多の戦を見てきた。妖精や魔物の伝説を信じる民、素朴な牧羊、何千年と続いて吹いたのであろう北風、永遠の前ではヒトのたった数年など塵芥にすぎない。
この場所に立って初めて、あのラストシーンの真意がわかった気がした。
たった数年で終わる儚い少年の青春。ベスパもモッズコートもスーツも、数年後には新しい流行を前に誰も身につけなくなっている。
対して、地表が地球に現れた時からずっと存在し続けているセブンシスターズの大自然……
一瞬と永遠の対比。
流行と伝統の対比。
永遠と一瞬のきらめき
パンクを産んだキングスロードは名の通り由緒正しい高級住宅街になった。
カーナビーストリートは高級化により当時の担い手のほとんどは消えてしまった。
セブンシスターズは何も変わらない。太古の景色のまま、そのまま……
ブライトンの駅で帰りの電車を待っていた。ぼんやりと、わたしが愛したユースカルチャーはもう遠い昔のことで、今のロンドンには残ってないのではないか……と考えていた。
むしろ、もっと昔の騎士の鎧だの石造りの館とかは残っているけれど、ユースカルチャーはもうない。
そうだよな、東京だってそうだもの。黒ギャルとか、もういないけど、神社仏閣は残ってるし……
時刻は18:00、帰宅ラッシュが始まっていた。
会社勤めが終わった大人、学校帰りの子供たちが列車の電光掲示板を見に集まってきた。
このブライトンは日本人留学生にも人気の土地である。つまり、ハイティーンの学生たちが多く集まるということ。
駅に集まってきた子供達の服装は、とても鮮やかだった。
平日の日中に見た大人たちの、機能的に北風を避けるための服装とは違っていた。
その子その子で様々な装いでおしゃれを楽しんでいた。
そっかぁ……
平日だからいなかっただけか……
いつ描かれたのか分からない、ワールズエンドのグラフィック・アートを考えた。
カーナビー・ストリートに目を輝かせていたパンクスのカップルを思い出した。
石造りの建築は、災害の少ないこの土地では100年単位で残っていく。
けれど目に見えない文化は、人々の中に残っていく。
あまりに多くの人が集まるこの都市では、たくさんの装いが集まっている。若い老いどころではなく、そもそも人種が違うのだ。
白人黒人東洋人、インド、イスラム系……様々な人が住んでいる。ずっと東洋の島国で過ごしていたわたしには、こんなにも違う色をした人々がひとつの土地に集まっているというのは初めて見る光景だった。
わたしだって他人事ではなく、ここでは人種の坩堝の渦中の一人。
こんなにも違う人たちが集まって都市を形成しているなんて、思ってなかった。
どこよりも早く産業革命を迎え、急速に都市化されていったこの土地は、現代では何もかもがくたびれている。地下鉄の車両、改札機、トイレの水圧。くたびれたそれらを多種多様な人々が使うのだから、綺麗なままでいられるはずもなかった。
でも、それでいい。
たいして困りゃしないじゃないか。
この街では古いものが残り続け、気にもせずに新しいものも積み上がっていく。
ロック音楽もEDMも、ゴシック小説も妖精の伝説も、きっとすべて、同じ軸に存在し続けている。
PUBって場所はホントに素敵
憧れのPUBを訪ねた。
石を投げればPUBに当たるってほど、至る所にPUBがあって、昼間から営業していた。
中に入るとどう見ても仕事の休憩中な社会人が、お茶を嗜むかのようにビールを飲んでいた。
食事が合わなくてあまり楽しめなかったが、このPUBで食べたフィッシュ&チップスはとても良かった。
大きくて脂っこいんじゃないかとビビったが、いざ切るとサクッと軽く、タラの身はホクホクで溶けるようで、揚げ物がこんなに軽く仕上がるのかと驚いた。
こいつとビールを煽るんが……サイコ〜!!
隣では男性2人が盛り上がって、パイントをおかわりしていた。日本ではとても昼間に飲む量ではなかった。
なんだか……この……
昼間から酒飲んでも良いじゃん??
っていうノリこそが、ロック文化の根源かもなあ、という気持ちになった。
おまけ
ヴィクトリア&アルバート美術館で撮ったガントレッドの動画がバズった。
ユースカルチャーについて語り倒したらバズった記事。
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